土曜あれこれ

okatake2010-02-28

2月も今日まで。昨日は、一年に一度ぐらい呼ばれるJRACという団体での古本講座。一時間ぐらい話をして、神保町を数軒、一緒にまわり、あとは参加者に勝手にまわってもらい、最後また集合して戦利品を発表してもらうという講座。千代田図書館は、いつこんなのができたの、と見上げる立派な千代田区役所の9F、10Fにある。持参した古本をネタに、馬鹿馬鹿しい話をして、雨が上がった神保町を「鳥海書房」「みわ書房」「秦川堂」と回る。いつもは店に寄らないくせに、こういうときだけ、さも神保町通みたいな顔して参加者を引き連れるとは、詐欺師のようだ。しかし、改めて各店を見ると、やっぱりおもしろい。それぞれの店で、参加者がそれぞれの食いつき方をしてよかった。安心した。
なんとか無事に一日の役目を終えて、ぐったりして帰宅、と思ったら、買った本を、持参した古本と一緒に宅急便で送ってもらうことにしたため、手ぶらとなり、ついつい、高円寺「好書会」に寄ってしまう。担当者に言われたのだ。「手ぶらになると、帰り、また(古本を)買ってしまうんじゃないですか?」と。その通りになった。好書会と、都丸均一でまたごそごそと買う。まったくなあ。晶文社の本で言うと、パヴェーゼ『青春の絆』、小林信彦『オヨヨ島の冒険』、ヒュー・ブラウン『英国建築物語』をいずれも300円、350円ぐらいで買う。
しかし、いちばんグッと来たのは都丸で100円で買った板倉鞆音訳編『ケストナァ詩集』思潮社。この薄手の簡易フランス装「現代の芸術双書」が好きだ。「経歴概略」の末尾を板倉はこんなふうに訳す。
「ぼくだって自分のリュックサックは自分でしょわねばならぬ/リュックサックは成長する 肩は広くはなりゃしない/概括して言えば次のごとくになるだろう/ぼくは生まれてきた にもかかわらず生きつづけている」
このところよく聴いているのは、ピーター・ゼルキンのグループ「タッシ」による「メシアン/世の終わりのための四重奏曲 武満徹/カトレーン�」。ピーターはあの巨匠ルドルフの息子でしょう。でも裏ジャケットの写真を見るとまだ若者で、どうなっているかと思ったら、これは70年代半ばの録音だった。あとブラッド・メルドゥ「LARGO」もよく聴いています。
昨日、宅急便で送付をたのんだ本が送られてきた。どれどれ、コミガレで三冊、嵐山光三郎『口笛の歌が聴こえる』の元本の初版帯付きっては珍しいの。あと四方田犬彦『旅の王様』、高階秀爾『西洋の眼 日本の眼』といい組み合わせ。田村店頭の無料箱に人が群がっていて、横からさっと文庫数冊をつかみ取る。そのなかに徳間文庫の柳原良平『船旅の絵本』があった。転んでもタダではおきない、とはこのことだ。秦川堂さんでは、小学校のりかの教科書を525円で買う。いい感じの絵柄で、これはもう絵本だな。
電車のなかでは小林竜雄『久世光彦VS.向田邦子朝日新書を読了。さいしょ、対談集ほか、対立もしていないのに、なんでも「VS」をつけるのは悪いクセだよ、と思っていたが、これは本当に二人のあいだに作り手として「VS」の部分がいい意味であった、という内容で感心した。正確な引用ではないが、久世が、エッセイではウソをつけるが、小説(創作)では本当の自分が出てしまう、というようなことを言ったとあり、これはゾクゾクと来た。たしかに向田は、エッセイでは長年の歳上の恋人(自殺した)のことをいっさい書いていないが、シナリオには、投影させた人物がしばしば登場する。なるほど。