ひさびさの末広亭

okatake2010-02-25

週刊現代重松清『きみ去りしのち』書評、削ったり書き直したり、めずらしく苦心さんたんして送稿したら、8行足りないといわれる。あれほど削って、こんどは足りない。いまだに行数計算で簡単な算数を間違う。ゲラが上がり、なんとか加筆して送ると、加筆で引用したジャズの訳詩がジャスラックへの許諾がいるということで、またその分、削って加筆。われながら、完成原稿がどうなることやら。しかし、1919年初出のジャズソングがジャスラックの許諾がいるとは。
「TBS」放送原稿は、松岡正剛エバレット・ブラウン『日本力』PARCO出版を、月一度の検査通院した折り、隣りの書店であわてて見つけ、あわてて読み、あわてて書く。鵜飼いの鵜みたいだ。
月2度の長い集中を要する原稿も半日遅れで送付。「サンデー毎日」は「ARE」で同人だった吉川登さん編『近代大阪の出版』創元社を。読者に読ませようという工夫はないに等しい研究論文がつづき、旭堂南陵師の「立川文庫」についての論文でようやく、頭に入ってくる。プラトン社、創元社、「大阪パック」と、ぼくにはやはり近代の部分がおもしろい。
これが火曜日水曜日のできごと。さすがに、途中、頭の電熱器が切れ、腕組みしたまま2、30分放心した時間があったが、これだけやっても生活はギリギリだからね。前途は暗いよ。どうにかなるんだけどね、けっきょく。
今日は、神保町のチケットショップで買っておいた「末広亭」のチケットの期限がもう今月ぎりぎりのところに来て、朝、TBSを終え、午前を目白の「ドトゥール」で時間をつぶし、目白「ブ」高田馬場「ブ」と経由して新宿。ババ「ブ」では、山口洋子『酒場での飲み上手遊び上手』ワニブックスがまあまあの買い物。「あった、あった。」にどうだろうか。
末広亭」は2年ぶりか。平日昼間というのに1時過ぎには満席となる。主任は入船亭船扇師。ひいきの噺家だが、「長屋の花見」は、もうかなりろれつがあやしく聞き取れないところがあるが、小刻みに震える上半身を含め、まあ味だろう。主任にあわせ、入船亭門下の噺家が顔をそろえる。ぼくは扇遊さんの明るい高座が好きだ。林家彦いちは将棋盤みたいな顔をしているが、もう聞き飽きた「初天神」を、親子のやりとりを誇張して、ちゃんと聞かせるものに仕立てた。柳家喜多八は、もうまるっきりやる気なし、世の中どこがおもしろいんだというふうな出を見せ、まくらでえんえん、立ち食いソバのかき揚げソバがいかにうまいかを描写してみせたと思ったら、いきなり調子を張り上げて、隣家の筍をめぐるこっけいなやりとりを描く小さな噺を、メリハリをつけ、きちっとやってみせた。さすが、である。中入り前の権太楼は、ひとことで言えばぼくは相性が悪く、どんな噺を聞いても白々しく見え、楽しめない。「代書」は枝雀のをアレンジしたもので、前の席の男性二人が涙をながして大笑いしていたが、ぼくはちっとも楽しめない。これは枝雀に肩入れするこちらの問題もある。
ロケット団もひさびさに見て、笑った。技術もネタもまずは一流。現代用語が、山形弁で日常会話に溶け込んでいるというネタが楽しい。テレビのお笑い番組で消費され尽くされてしまわないことを願う期待のコンビだ。
しかし、やっぱり寄席はいい。土曜夜の二つ目の会も、上京したころは、よく聴きに行ったものだったが、月に一度は行きたいもんですねえ。
新宿三丁目から丸の内線、荻窪下車で「ささま」へ寄らないわけがない。均一二册と、資料用に現代美容術のパイオニア、山野千枝子の回想『光を求めて』昭和31年、を840円で買う。
帰宅して夕食をたべたあと、4時間近く死んだように眠る。よなか起き出して、なぜか湯豆腐を作って食べる。娘が起き出してきて「あ、お父ちゃん、よなかに悪いことしてるな」と言う。
新潮社より熊井啓の評伝『ぶれない男』西村雄一郎、講談社から坪内祐三『酒中日記』をいただきました。
ゴヤブックマークの一環で、ナゴヤリブロの古本市に出品のお願い、文面がとどく。あれ、アオキじゃないんだ。「みちくさ市」も参戦するつもりだし、また古本があれこれ移動する。