ディック・フランシス死す

okatake2010-02-15

ディック・フランシスが死んだ。息子と組んだ最新作はまだ読んでいないが、それまで邦訳の全作を読み、一番熱を上げていた80年代、新作を読むと、また過去の作品すべてを読みなおすというムチャを繰り返していた時期もある。「利腕」あたりまでの作品は、すべて5回ずつ読んで、詳細にメモも取っていた。ひょっとしたら、読書生活のなかで、一番多く時間を費やした作家、ということになるかもしれない。
「豚の病気(○○毒)について、君はどれぐらい知っているのだ?」
「親指の爪に書ける程度です」
とか、
「家に帰って蘭の香りでもかぎますよ」
「蘭に香りはないよ」
「ハレーは知っているのだ。無駄に時間を過ごすという意味なのだ」
とか、正確ではないが、たちまち頭に浮かんでくる。菊池光(きくち・みつ、と読む)の訳には批判もあったようだが、ぼくとの相性はばつぐん。菊池光訳のディック・フランシスふうにものごとを考え,整理するくせがついたほどだ。フランシスの登場人物に共通する克己性、倫理性、潔癖性が、漢語を多用した菊池訳とうまくあっていた。
いまはちょっと忙しいが、全作を読み直し、メモを取り直し、実生活に役立つ「ディック・フランシス的生き方」を研究したい。
合掌。

昨日羽鳥書店、最終日だというのににぎわっていて、ピカピカしたきれいな、しかも筋のいい本ばかりが並んでいる。ぼくは「図書」編集部編『座談の愉しみ(下)』一冊だけ買う。会場にいた西秋くんに「ぼくも死んだら、蔵書、こんなふうに売ってくれるか? お寺もあるから、葬式もここでして、会葬者に買ってもらおう」と半ば本気で言う。「いいですねえ、生前葬でもいいですよ」と西秋くん。並んでいた本もいいが、ぼくは古い本立てが欲しかった。
北浦和で「雪岱展」をじゅうぶん楽しんで、公園を歩いていたら、いきなり噴水のショーが始まった。なんだい、こんなものと通り過ぎようとしたら、音楽に合わせてじつに多彩な水芸を見せてくれた。駅の逆へ出て、駅からすぐの「野出書店」へ行ってみるが、ドアが閉まって中が暗い。2階まで本がぎっしり詰まった、じつにおもしろそうな店だったが、なんとかならぬかとガラス戸に頭をくっつけていると、後ろから「岡崎さん」と声をかけられる。見ると、荻窪「岩森」の番頭さんだ。おおっ、と見ると手に雪岱展カタログと、傍らにじつに可愛らしい女性が。閉まっていて残念な店、ということで話をし、もう一軒ある「平和堂」へ一緒に三人で。途中、寂れた商店街を通過する。バーバーのドアに書かれた飾り文字を見て「おお、雪岱!」、モノクロのような灰色の朽ちかけたビルを見て「これも雪岱、なんでも雪岱に見える」と。「平和堂」はあったが、ここはリサイクルショップ。ドトールで一緒にお茶を飲みながら、話をする。岩森・番頭さんとちゃんと話をするのは初めて。和本を買う女子高生とか、おもしろい話を聞いた。
ここで別れて、せっかくだからと浦和で下車して、武蔵野書店、金木書店と回る。金木書店で、また番頭さんと彼女にばったり。「キミ等はこの広い日本でほかに行くとこないんか」と苦笑い。金木書店では、仕入れとして2冊買う。今江祥智『童話術』晶文社を500円+税、うたの絵本竹久夢二『とおいおもいで』リブロポートを300円+税で買う。欲しいものにうまく当れば、ここは買えます。
帰り、武蔵野線に乗ったら、ホームがごちゃごちゃしてて、逆に乗ってしまった。