渡辺洋『向日 歌う言葉』と向き合う雪の日

okatake2010-02-13

昨日、今日とほとんど家にいる。今朝は小雪がちらついていた。盛況が伝えられる「羽鳥書店」古本市は明日、なんとか行きたい。取材を兼ねて。
時事通信からの依頼、『人情本事典』(笠間書院)は宗旨ちがいで、なかなかの難物。なんとか書評の筋を見つける。「週刊現代」からは重松清『きみ去りしのち』文藝春秋の書評依頼。「サンデー毎日」では、吉川登編『近代大阪の出版』創元社の書評を。いずれもこれからの仕事。
晶文社編集者だった新潮社のAさんに『すむーす』を送ったら、代金を払うと言われ、どうぞどうぞご笑納ください、と言ったら、「芸術新潮 雪岱特集」ほか、「新潮」の今月号など、あれこれ送ってくださる。エビで鯛とはこのことか。「新潮」は「小説家52人の2009年日記リレー」特集。変わったことをする。けれどすいすい読める。そんなこと昨今の文芸誌であんまりないよ。金原ひとみの朝は、まず子どもに起こされる。川上弘美が「つきまとう」某に悩まされている。柳美里の日記で、城戸朱里さんの奥さんが、そんなに可愛い人なのかと。堀江敏幸が大学でゼミ生に「先生って、作家ですよね、年収って一億ぐらいですか、と真顔で問われる。などなど、下世話なところばっかり目がいくな。ほか、高橋英夫アッシジのフランチェスコについて書いている。ぼくは一度、死ぬまでにアッシジに行ってみたいんだ。
教育誌2つのコラムをなんとか書く。「ブックジャパン」には、長山靖生『日本SF精神史』河出書房新社の書評を書いて送る。
なんだか、何もかもイヤになって、「ブ」で買った「刑事コロンボ」のDVDを三本、たてつづけに見る。バカだなあ。
渡辺洋さんから新詩集『向日 うたう言葉』(書肆山田)を贈られ、じっくり、丸ごと、読む。本回りの業界で、同世代で、若い頃に親しんだ音楽や文学にいまだにひっぱりまわされて、女の子のコドモを持つ親として、身に沁みて、本当によくわかるような気持ちで読んだ。いい時間だった。下手な批評はいらない。思わず線を引いた個所をいくつか引用してみる。
「歌をくちづさんでいるうちに/この居場所の分からない時代が終わらないかな/静かに少しずつ力強く/歌うように働いて送れる日々が来ないか」(「向日 2」)
「ぼく自身のための処方箋のようなぼくの詩が/ぼくの知らないあなたに届くためには 不機嫌な時代を無口に生きる人々が/ふと気がつくように空を見上げる場所を作らなくてはならない 自分のよわさを間違いやさびしさをひとつずつ読み終え/ぼくがぼくの詩から出て行くことで」(「向日 3」)
「自分をうまく殺さなければ生きていけない時代の/夜を泳ぐ言葉があふれているけれど/ぼくは朝を待つ言葉で話がしたい」(「向日 5(若いKくんに)」)
「十七歳のカオルに教えてあげられることはもうない/彼女は自分の生き方を生きていくだろう でもぼくは生きるスピードでは追い抜かれながら/探しているものがまだたくさんあるから/カオル きみよりも若いんじゃないかと思っている」(「世間知らず」)では、思わず「いいぞ、ヒロシさん!」と心の中で叫んだ。同じ詩にはこんな詩句も。「ぼくを呼んでいるとしか思えない本や歌と出会って/一人ではなかったと思えること」。ここは、本当にそうだな。60年代末から70年代の初めに中学から高校へ、つまり感受性がいちばんまっさらだった時代を送った戦友として、うんうんとうなずいた。もっとも渡辺洋さんは、ぼくなんかよりはるかに優秀な生徒だったはずだが。
それから、ここにもしびれたなあ。
「私は人は自分の権力に敏感であるべきだと思う/権力をふりかざすくらいなら/町の掃除を手伝いながら/晩飯の支度を考えたほうがいい」(「向日 7(T先生へ)」) 
なんだか、詩の修練を積んできた洋さんが、一度技術をはぎとって、できるだけ生に近いコトバで、どれだけいまの自分に正直になれるかを、試行錯誤の果てに試しているような仕事に思えた。それは、いまのぼくの気持ちの状態にもぴったり来る。われわれはべつに技術で生きているわけではないんだから。
それは同じ詩のこんな詩句にも現れている。
「火のついた煙草をさし出されたら/つかむことのできる人/それが詩人の条件じゃないでしょうか/目の前にさし出された火にてのひらをこがしながら/詩を書いてほしい」
そして、現実に囲まれた孤独を表すこんな美しいイメージ。
「完成したさびしいひまわりのように/一人ひとりがシステムと向き合わされている/自分に閉じ込められた話し方から出て行って話せるか/まだ誰も口にしたことのない夏の夢を」(「向日 9(夏の感情)」)
ここには激しい感情との格闘の後に来る、波に洗われたような自然な言葉の発露がある。50代を迎えて、ようやく淋しさを味方につけた者が押し出したピストンの力強さがある。それが、よりどころなく試さないまま失った力を、いかにだまして、若くないこれからを生きていくかというテーマに直面したぼくに、慰めと勇気を与えてくれた。