コクテイル、ラスト

okatake2010-01-16

これは昨日の話だ。月二回の集中力を要する、重苦しい長編原稿を、朝早く起きて、なんとか午前中に送稿。
自転車にまたがって、駅へ。しかしサドルが低いなあ。娘に新しい自転車を買って、もうそんなことはないが、一時、ぼくの自転車を何度か娘が使ったことがあって、とうぜんながらサドルを下げる。ぼくが乗るときは上げる。この何度かのくり返しで、上げたとき、サドルを上げ下げするハンドルをもっときつく締めておかねばならないのに、緩かったのか、座っているうちにだんだん下がってきて、気がついたら、ハンドルが内側にあるままサドルが下がり、操作できなくなっていた。サドルが低いと、余計な力が入るため、腿が疲れるのだった。こんなささいなことでも、一日は憂うつになる。
車内では、資料として山崎正和『おんりい・いえすたでい60S』を読む。新聞、雑誌記事をはさみこみながら、よく切れる鋭利な刃物のような頭脳で、スパスパと時代層を裁断していく。
神保町「愛書会」を覗くが、時間もあまりなくて買わず飛び込む水の音。サンデーを終え、ひさびさにギンレイ。二本観るつもりだったが、最初の「幸せはシャンソニア劇場から」が、ぼく好みの、楽しくて、粋で、心が温かくなる、そして音楽がとびきりいい映画だったので、満足して出る。最後、エンドロールで、ふつうなら、バラバラと客席から客が立って帰っていくのに、みんなしばらく席を温めていた。ああ、みんな、喜びに浸っているんだと連帯感を感じる。これはサントラを買おう。
「幸せはシャンソニア劇場から」http://www.chansonia.jp/
そうだ、今日からビッグボックスだ。高田馬場下車。空気の冷え込んだ会場は、しかし人があふれて、文庫のワゴンなどなかなか見られないほど。ぐるぐる棚を廻っていると、思いがけない人を見つけ、一緒にお茶をする。そうかそうか、いまはそういう仕事をしてるんだ。ふむふむ、小説でも書いてみたら。どう書くって、そりゃ、なんでもいいからとりあえず一行書くのさ。「今日、とりあえず私は起きて、コーヒーをいれた」でもいいんだよ。そこからどう人物が動き出すか、想像するだけで楽しいじゃない。仕事してても、今日は、あの主人公に何をさせようか、とか。などと喋ってるぼくだが、これまで小説の書き方なんか、考えたこともない。喋って初めて、そうか小説ってそんなふうに書くのか、と自分で驚いた。
高円寺あずま通り「コクテイル」が今週いっぱいで移転するので、行ってきた。店内は満員。坂崎さんを見つける。坂崎さんと一緒に飲む。すると魚雷くんが宮里くんと現れる。あとで「本の雑誌」編集長、浜本氏も。コケシちゃんも交え、わいわいと飲む。浜本さんが函館出身と知り、函館話を。宮里くん、ぴったりのいい椅子を見つけたように、職場を移り、張り切っている。よかった。
坂崎さんの新刊、『神保町「二階世界」巡り』を、ぼくは二ヵ所で書評したのだが、じつは書けなかったことを坂崎さんに伝える。それは「あとがき」で、これが物書きのはしくれとして、お守りにしたいようなコトバなのだ。
「そして、これは恥ずかしげもなく告白しますが、自分の書いた文章を後で読めば、たいていは(拙ないなりに、ともかく、よくクリアできたなあ)という思いがあります。/というのは、ちょっとした原稿でも(はたして、なにか一つでもいい、ぼくなりの意見や、少しは芸のある面白い文章が書けるだろうか)と不安なまま原稿用紙に向かうのが常だからです。だから書き上がった原稿は、ぼくにとっては、たいてい〝上々〟なのです」
これにはまったく感服して、そう思えるようにしようと誓ったのだった。そのことを、坂崎さんに伝えたかった。「ぼくにとって、この坂崎さんの「あとがき」は、寅さんが首からぶらさげているお守りみたいなものなんですよ」と。

狩野ジュニアも見た。一カ月だという。こんな小さな生きものに、我々と同じ臓器が詰まっていると思うと不思議だ。
コクテイルの移転先は、同じ高円寺の高円寺北3−8−13 北中通りの抱瓶を越え、洗濯船を右に見て、まだその少し先の左側。新生オープンは、二月末から三月初めになるそうです。