都心へ初出

okatake2010-01-07

パソコンのことで、みなさん教えてくださってありがたいです。じつは、プリンターさえ、買ってから一度も使ってないのです。信じられないでしょう。信じられないです、ぼくも。もう少し習熟しないと、書き下ろしの時など、苦労することになるのがわかっているのに、ひどいもんです。携帯もいまだにメールも打てない。かかってきたら、出るだけ。機械音痴というほどではないと思うんです。一人暮しのときは、テレビとビデオの配線や、録画や留守録もやっていたし。でも、いまは録画もしてません。昭和で止まってしまっているのですね。どこかで、あんまり機械に便利に頼り過ぎたくない、という拒否反応があるのかもしれない。しれない、ではなく、ある。
今日は早起きして、大江健三郎『水死』の書評を悪戦苦闘して書く。それでも所要時間は1時間半ぐらいか。自分の嗜好に合った、読みやすい本なら、読みながらすでに8分どおり原稿ができていて、それを打ち、多少修正するぐらいだから、800字くらいなら、30分で書けてしまうこともある。
大江の新作は、ぼくの書評技術の持ち駒では、収まらない。もう少し広げて、力技でやらないと、ダメだったのである。しかし、それは勉強になった。書きやすい本ばかり書評していると、慣れてきて、なだらかに、スムースな書評が書けるが、あまり進歩はない。どこかで、ゴツゴツとぶつかりながら、手探りで書くための突破口を見つける書き方も必要か。終ると虚脱して、リビングへ行くと、娘が書き初めの宿題をしていた。
支度して外出。竹橋へ。サンデー毎日へ初仕事。ぼく、締め切りを勘違いしていたみたいで、頼まれた書評、締め切りが今日だったみたい。詫びて、来週頭まで伸ばしてもらう。いきなり失敗だ。短評6本を書いて、風のなか、神保町へ。途中、学士会館で生理現象を解消する。学士会館のトイレ、いつもきれいで、好きなのだ。
文省堂で野呂邦暢『落城記』文藝春秋、3刷を100円。コミガレ、タテキンともに買えず。そうだ、と思い立って浅草へ。浅草松屋の古本市を覗く。思潮社真鍋博装幀の現代日本詩集『遠い度 安藤一郎』が315円であって、買う。巻正平『姦通のモラル』カッパが210円、ほか数冊を買う。ネクタイ姿の岡島くんに新年の挨拶。話題は、「彷書月刊」に書いた泪橋即売展のこと。ここにはとても書けない、ドヤの人々の強烈なエピソードを聞く。いや、とても書けません。ところで浅草松屋での古本市はこれが,最後という。昭和6年オープンの老舗百貨店も「長引く消費低迷のため、2010年5月末をもって浅草店の営業を大幅に絞り込むことを発表した。現在の地上7階、地下1階(2階は東武浅草駅)から4階以上の営業を取りやめる。同時に店舗名も「松屋浅草店」に改められる予定」とウィキペディアにある。会場にいた、某古書店の店主も話しておられたが、下町のデパート展とあって、ほかとは違う、柔らかいものがよく売れる独特な催事場だっただけに残念、と。景気の冷え込みが古本を直撃。
あ、そうそう。浅草松屋の会場で、セーラー服の中学生か高校生か、ずっと熱心に古い「漫画読本」を読む姿を発見。平成生まれが、横山泰三なんかのマンガをどういう気持ちで読むんだろう。一冊200円ぐらいなので、思わず「おっちゃんが買ってあげるから、家に帰ってからゆっくり読み」と言いそうになる。あぶない、あぶない。捕まってしまいます。
中央公論新社へ移動。いまは他の部署へ移った、「中央公論」の歴代担当編集者のFくん、Tくんと新年会。同じ方向のTくんと中央線で帰る。
小説新潮」1月号が「テレビ有頂天時代」特集。高平哲郎が「今夜は最高」時代のことを、37ページにわたって詳しく書いている。これは永久保存版。「今夜は最高」は、景山民夫が批判していたが、いやいや、おもしろかったよ。『今夜は最高』のトーク日本テレビから書籍化されていて、ぼくは2冊だけ持っているが、「傑作名場面集」というのを含め、なんと9冊も出ているのだ。しかし、それらはまったく見ない。あれば欲しい。