野呂邦暢エッセイ集

黒岩比佐子さんが、自身のブログでつらい告白をされている。いま、もっとも油の乗っている書き手で、いい仕事を次々としてそれがちゃんと各賞を受賞し、注目もされ、まだまだ書きたいことがいっぱいあるようだから、いちばんつらいのはもちろん本人だ。しょせん、我々はスタンドで見守る観客でしかない。応援さえ負担になるかもしれない。声なき応援をするしかない。
黒岩さん、また、神田の即売会でひょっこり会って、あの旧式のエレベーターを使って、「ヒナタ屋」でお茶しながら雑談できる日が早く来ることを祈っております。
今週は水曜日に祝日をはさんでいるので、今日、サンデー毎日に仕事納めに行く。昨晩から半徹をして、「すむーす」晶文社特集の島崎勉さんインタビュー原稿をどうにかまとめて、島崎さんに送付。400字で17〜8枚はあるか。そんなにないか。
歯の治療がずっと続いていて、今日は、右上奥2本に金冠かぶせる。これで8本は人工の歯に。そのうち、全部、人工になるだろう。獅子舞みたいになるんだろう。
「サンデー」で冬至の日は「いとこ煮」という食べ物を作ってたべるという話が出て、これがなんのことかわからない。「いとこんにゃく?」とボケてみたり。Iさんが、たちまち編集部に口頭のアンケートを取り始める。関西出身者はみな知らない。かぼちゃを小豆と一緒に煮たものらしい。
夜、大久保「くろがね」で、みすずの宮脇さんと打ち合わせ兼忘年会があって、時間つぶしに「ギンレイ」へ。「夏時間の庭」というフランス映画だが、これがどうにも退屈でおもしろくないなあ。大叔父と呼ばれる大画家が残したアトリエと屋敷に住む、あれは義妹かしらん、三人の成人したコドモの母親がいて、75歳の誕生日に、ひさしぶりに三人のコドモとその家族が集まる。この大叔父というコトバが最初に出てきたかどうかわからないが、しばらく亡くなった画家は、彼らの父親だと思って見ていたので、混乱する。その母親も亡くなり、名画や骨董、家具などを含めた遺産分配の話がえんえん続く。なんだか小津安二郎みたいな話の映画だが、小津にはもっとユーモアがあって、しかも心理の綾などが細かく描かれ、退屈しているヒマなどない。最後の5分、10分がもう待てずに出てきてしまった。
大久保「くろがね」は、井伏鱒二山脈が愛した店として知られる。庄野潤三の小説やエッセイにもよく出てくる。「大人の本棚」で庄野さんの『ザボンの花』『ガンビア滞在記』などを作った宮脇さんと、追悼を込めて、二人で飲むことになった。そして来年、「大人の本棚」から『野呂邦暢エッセイ集』が出ることが決まり、その選と解説をぼくが頼まれたのだ。その打ち合わせも兼ねている。
少し早くつき、くろがねに入ろうとすると、入口の前で男女二人が立ち尽くしている。どうやら、入口の戸がうまく開かなくなって、店の人がうんうん言いながら、戸を開けようとしているようだ。ようやく開いて、前の二人に続いてなかへ入ると、「あれ、3人?」と言われる。「いや、ぼくは違います」と言ったのだが、不思議なことに、前に入った男性客が「岡崎」という名前なのだ。しかも常連らしい。「じゃあ、岡崎さん」なんて言われると変な感じ。それはぼくじゃないから。
宮脇さんとは庄野さんや野呂邦暢のことなど、いろんなことを話す。来年が野呂の没後30年にあたり、先行する「大人の本棚」の『愛についてのデッサン』もほぼ品切れ状態らしく、これを機に増刷されるといいが、なんて話す。みすずには野呂のファンが多いという。