過ぎ行く暮らし

okatake2009-12-02

出版社占い http://maromaro.com/press/ ぼくは「日経BP」でした。むろん当たっている部分もある。占いってそういうもんなんですよ。
いろいろ書くこともあるのですが、混乱していて、まとまりません。今週が一つの山場です。今月前半にはあらかた片がつくでしょう。
「ブ」で買った、書き込みありの「マイブック」、使用部分をちぎったあとのを、メモ帳に使っている。和田誠デザインの「週刊文春」表紙を残しておいて、カバーに使っています(写真)。
取材したり取材されたり、書評の依頼があったり、バタバタしています。
風船舎の目録から一万円の商品を注文しました。届くのが楽しみ。「コクテイルライブ」で披露したいと思います。
酒を飲みだしたらもうだめだ。今夜やるはずの仕事を、明日、早く起きてやろうか、それとも、朝のラジオを終え、午後からの取材までギンレイで、と考えていたが、やっぱりいったん家に戻って仕事をしようかと考え始めている。
鈴木勲「アコの夢」を聞きながら。
昨日だったか、ギターの弦を買いに、立川まで、グランデュオに入っている楽器店でいつも買う。ついでにギターを見たり、楽譜を見たり。
携帯の万歩計を見たら、少ないので、駅の南へ出て、「ブ」を一軒覗き、そのまま諏訪通りを「諏訪神社」の方へ歩き出す。駅前の喧噪がウソのように、田舎町の風情が味わえる区画なのだ。諏訪神社はけっこう大きな神社。ひっそりとしている。本殿前の賽銭箱に財布の小銭を放り込んで、少し祈る。願うはいつも娘の行く末と今日明日の無事ばかりだ。自分のことなど、ここ十数年、祈ったこともない。
そのままくねくねと住宅街を抜けたら中央線の線路にぶつかった。谷になって切れ込んだ線路沿いに、また立川駅へ戻る。途中、銀杏がみごとな黄金色に染まっていた。
こうしてあてなく歩くことが救いになることもある。歩け,歩けだ。
TBS放送原稿、泉谷しげる加奈崎芳太郎『ぼくの好きなキヨシロー』WAVE出版を書く。「彷書月刊」連載144は、南千住。泪橋古書展と大島書店について。
女性誌の読書特集で、テーマ別ベスト5を二種選んで送るが、どうも編集部の意向と合わなかったようで、没にしてもらう。そういうこともあるのだ。別に気にしていない。
歯の治療にずっと通っていて、ぼくは、ずっと間違った噛み合わせで食べていたようで、本来あるべき噛み合わせを想定して、いま奥歯が二ヵ所高くなっている。前歯が閉じない。それで食べづらい。亜鉛は飲むは、歯は合ってないで、大変だ。
しかし、これまで写真を撮られると、口が歪んで写っていたが、それは修正されるはずだ。
伊集院静の家に(三浦半島みたいな見当)編集者3、4人とくっついて訪ねる夢を見た。伊集院静は夢のなかで、気をつかう本当にいい男で、「『青の縦波』を書評してくれてありがとう。あれは、読みました。うれしかった」なんて言う。しかし、『青の縦波』なんて小説、書評した覚えがない。自作を映画化された撮影現場に立ち会って、これをもらってきたと、小道具の額に入った絵を見せられる。しかしよく見ると、一枚の板を彫り出した絵と額が一体になったもので、絵は適当に小道具の人が描いた感じ。こんなの、どこがいいんだろう。複製でも名画を額に入れて小道具にしたほうがいいのに、なんて思うが、とても言えない。伊集院家にはたくさんの家政婦が働いていて、ぼくらはこの夜、泊まっていく前提で話が進んでいる。いやいや、明日の午前中に取材が一本あって、東京へ帰らなくちゃいけない。それをいつ、どんなタイミングで言うか、じりじりしているところで目が覚めた。
新潮社のエンスー雑誌「エンジン」編集部から書評依頼。なぜ、と思ったら、元晶文社にいたAさんから。そういえば、どこかで名刺交換をした憶えが。つい先日、島崎さんに取材したとき、Aさんの名前も出たので、その符合に驚く。
やっぱり今夜は寝ます。