平出・扉野師弟対談 一部再現

okatake2009-11-16

昨夜、西荻ブックマークで平出隆扉野良人師弟対談があった。スタジオ・マーレのスペースが立錐の余地なく人で埋まった。
扉野くんには不愉快にさせるようなことを、このブログで書いたことを詫びる。もう少し大人にならないと。
対談は、おだやかに静かに進み、ひじょうに興味深い話がたくさん出てきた。メモを取ったので、時間があれば要所を再現してみたい。
二次会で大いに飲み、食べ、喋り(ピッポさんといちばん長く喋っていたかな)、これで帰るつもりだったが、高円寺へ戻るという魚雷くんにふらふらくっついて、コクテイルで終電まで一時間ぐらい飲む。なぜかネギさんが来ていて(三つ子かしらん、と思うぐらい、あちこち出没するオトコなのだ)、魚雷くんも加わり、バカ話。
そうそう、「ささま」でめずらしく均一では一冊も買わず、なかで、『有元利夫絵を描く楽しさ』とんぼの本840円、高橋義孝編『東京故事物語』河出525円を買う。奥のカウンターでノムラくんが、本に値付けをしているのをしばらく観察していたが、ほんの一瞥で、すらすらと値段票に価格を描き込む手際にほれぼれとする。あたりまえだが、プロだなあ。
今日も亜鉛を飲んだ。


●平出・扉野師弟対談 印象に残ったこといくつか
扉野くんは多摩美芸術学部に九一年入学。平出さんはその年から専任講師を務める。扉野良人という筆名の由来。ときに「とびらのラビット」と名乗るが、これは回文になっている。建畠さんの授業で「回文を作れ」という課題があり、それで出来たのが「とびらのらび(っ)と」。なかに回文の天才少女というのがいて、電車に乗っていて、通り過ぎる駅名を寸時に回文に変える。そこで平出さんが紹介したのは、「たとえば、なかのかな(笑)」。扉野くんは、たしか田村隆一が回文がうまくて「いいものくいにいくのもいい」を紹介。
扉野くんは優秀な学生で、平出さん曰く「こんどの一年生に、すごく優秀な学生がいて、とにかく何でも知っている。そしてそれをひけらかさないと、研究室でも話題になっていた」。扉野くんは平出さんに、いかにも平出さん好みのホンを探してきてはよく進呈したという。
平出さんはいまでも多摩美で教えているが、学生の下宿に遊びに行ったことはない(まあ、当然でしょう)。ところがある夜、酒を飲んだ帰り、扉野くんの部屋で飲み直すことになった。二階建て木造のいかにもな学生下宿の、扉野くんの部屋を訪ねて驚いた。ドアの裏にゴダール「中国女」のポスターが貼ってあったのだが、平出さんも若き日に、阿佐ケ谷で下宿していたとき、やはりドアの裏に、同じ「中国女」のポスターを貼っていたそうだ。「なんで、ぼくが「中国女」のポスターを貼っていたのを知っていたのか?」と自己撞着のような笑いに変えて、平出さんは扉野くんの不思議さを伝えていた。
扉野くんたちのクラスはまとまりのないクラスだったようだが、卒業旅行を扉野くんが計画。小田原へ川崎長太郎の文学散歩をして「だるま食堂」でちらし丼を食べるというものだったが、(ここで客席にいたぼくは笑った。そんなの、喜ぶ学生がいるわけないだろうと)、結果、集合場所に現れたのは女子学生1人。それが誰あろう、近代ナリコ嬢であります。
そのほか、紹介したい話はまだまだあるが、あと一点。「荒地」の詩人たちと生でつきあって、平出さんが彼らを要約するに「みな、ひどく投げやりで、非権威的であった」と。それは、ある時期、深く絶望してそのまま青春が終らず続いているようだった。評判になったねじめ正一荒地の恋』は、平出さんの見るところ、その「奇妙さ」をとうてい表しきれていない。