熊田千佳慕、そして「国名」

okatake2009-10-10

夕べ眠れずに、ヒッチコック「汚名」を観たり、星野道夫を読んだり、あれこれ本を整理していたら明け方に。次に起きたら昼近くだった。一箱古本市も八王子古本まつりも高円寺即売会もみなパス。
途中から見た、NHK「熊田千佳慕」の再放送に目が釘付け。日本のファーブル。昆虫や花の絵を細密に描いた絵本作家。今年8月13日、誕生日に99歳でなくなった。某誌に書くつもりだから、ここではくわしく描かないが、スローライフなんて電通が仕掛けたような野暮なコトバを吹き飛ばす、昆虫ひとすじの悠々たる生き方に、心底惚れた。
あれこれ検索してびっくりしたが、熊田は山名文夫に師事したデザイナーで、「NIPPON」のレイアウトもしたという。日本工房の一員だったのだ。兄は「海港」の詩人、精華。じつに魅力的なプロフィール。画用紙を貼った画板を下げて、自宅近くを散歩しながら虫を観察。ときに道にねそべって1時間でもそうしていた。通りすがりの人に行き倒れと間違われたこともある。庭で、蝉の羽化が始まると、それも何時間でも黙って見つめているのだった。そこに寄り添う夫人。
2006年に「熊田千佳慕展」とともに「山名文夫と熊田精華展」があった。しまったなあ、と検索していたら、ちゃんとナンダロウくんが出かけて感想を日誌に書いている。まったく、見逃さないなあ。
興奮して、午後、家族ででかけるとき、玄関先に咲いた花に集まる蝶を、千佳慕を真似て、道に寝そべって観察していると、娘に咎められる。
先日、「ささま」店頭で清水あきら(永に日)『ワグナーの孤独』を買う。すでに持っているが、サイン入りだったので。清水さんの詩業の一つの到達点かと思う。
なかでも、いじめにいじめぬかれて、死ぬしか道はないところまで絶望して自殺した在日朝鮮人三世の十二歳・林賢一くんを謳った「国名」は、絶唱である。この詩、いくども声を出して読んだが、いつも途中で声が震えてしまう。こういう詩こそ、難しくとも中学校の国語の教科書に載せてほしい。
全行を引く。


国名


お母さん ぼくは遠くから流されて
異郷の砂浜にうちあげられた貝だった
水が欲しいよ 水をふくんだことばも少し
ただぼくはだまっていただけなんだ
歴史的に半島の血を割って 古い戦争が移しかえた
三つめの国名が汚れている
はんぶんだけの祖国はみどりが滴っていると聞いたけど
関係ないよね 三代目の図画の時間には


ぼくだって片想いに区切られた恋もした
どこまでもひろがる海図の迷彩色にすっかり染まって
勉強もがんばった 悪意を抜いて……
まだほそい腕から切れ込んで意味の手前でするどくまがる
凄いカーブもみせたかったな
ひとりぼっちで喝采して網に突込む
素晴らしい右脚のシュートもさ
ほんとうはみてもらいたかったんだ
校庭はがらんとしていて 落葉だけが降りつもり
だあれも受け手がいなかったから
全部ボールは行方不明
いつもそんなゆうぐれが肩から昏れて
明日の学校は暗鬱だった
ぼくはだまっていただけなのに
三つ目の国名が窓を閉めきり
大人の手口とそっくりな手と口が
けたたましくぼくの出口を覆うから
夢を教える教室は 退屈しきった
健康で小さな病者がいっぱいだ


お母さん
ゆうやけが水たまりに落ちていたりして
帰り道だけがきれいだったよ だけどもう
腕が抜けそうに鞄がおもい 学帽の中味も投げ棄てたいな
国名のない海の音が聞きたくて
屋上の夜までのぼってみた 眼下のあかりを吸って波だつ
晩夏の夜空は海みたいだったな
ぼくは誇をしめたひとつの貝だ
みしらぬ渚で寒さと嗚咽に堪えながら
国名を解くために
じっと舟を待っていた



最後に注として書かれた文章に、死後、林くんの小学校卒業時のクラスの記念サイン帖が発見された、とあり、そこに書かれた級友たちのコトバが引用されている。
C「好きな人、林以外の人、きらいな人、林、BAKA」
D子「バカ、おまえなんかくたばれ。バカバカしねバカ。いーだ」
E子「林へ――一生のおねがいです……死んでください。……ただうれしい事といえば林と別れる事であります」
F「林のバカ……というのうそ……ではありません。林のするものは――自殺――田宮二郎
そして、最後にUがノートにいっぱい「ばか」と書きなぐっていた、という。

ここまで無惨で巧妙で効果的な呪詛のレトリックがあるだろうか。