人のつながりだけで生きていくような

okatake2009-08-18

夏の終りの夕暮れに
消えそうな空に
夢を私が描くのは
とくに意味がないから

と、気づいたら歌っているぼくです。井上陽水「クレイジーラブ」より。
昨夜は、坂崎のオールナイトニッポン特別版で、吉田拓郎をやるというので、またラジカセを引っ張り出して、きゅうきゅうと周波数を合わせる。電話に出た拓ちゃん、元気そうでよかった。いま、曲を作る気まんまんで、また新しいアルバムづくりにとりかかっている。病欠する前の東京、国際フォーラムでのライブの出来がよくて、MCもすべてそのまま入れたライブ盤ができないかと考えているという。ぜひ出してくれ。「ともだち」というライブ盤がむかしあって、これはMCをふんだんに入れた、当時としては画期的なLPで、ぼくはこのMCまで覚えて、学校帰りに友だち相手に、再現したものだった。「♪起きてても(笑い)……べつに笑うところじゃないじゃないか、なにやってんだ、やりにくいなあ、もう」とね。(いま、高校時代の友人の白石にウケているはず)。
貧乏本が第四コーナーをまわり、下鴨前後ちょっとさぼったので(といっても資料集めやメモは取っていた)追い込みにかかる。昨日は石坂啓、今日は吉永小百合について書いた。
夜は銀座で、知り合いの出版記念をかねたパーティに出席。その前、渋谷東急東横の古本市を覗く。いま必需として『いま、五木寛之。』を500円。五木が、かつての下宿を探訪したグラビア有り。ここです。昭和62年に出た『日比谷・有楽町を愉しむ。』講談社は、これから銀座へ向うので。500円。それに、ああこういうのが出てたのかと、秋山真士『昭和』ポプラ社300円。
銀座へ出るのはひさしぶり。中国人、韓国人の旅行客が目立つ銀座の夕暮れ。某所で、ある人のパーティに出席したが、知ってるのは、主役とその弟さんだけ。出席者の平均年齢もむちゃくちゃ高い。いくつかスピーチを聞いたが、講演家という講演を年間110数回(正確には忘れたが端数まで紹介されていた)しているという初老の、いかにも講演慣れした人のスピーチが、講演をしすぎて悪ずれして、ひどかった。慣れ切っている余裕を見せ、いくつか、もう数百回も喋っているようなネタを振り、JALに乗ると最近はおそばが昼食に出て、海苔も乗っていて、これがほんとうの「JALソバ」。しーん、と会場がしていると、「ここは笑うところ。みんなもっと笑わないと健康によくないですよ」と、来た。どんどん横滑りして、時間だけが伸びていく。「次に小咄をされる方がいますが、おもしろくなくても、笑わないとダメですよ」などと言う。それは次に出る人(超有名な弁護士)に失礼だろうと思う。案の定、弁護士は小咄を急きょやめ、あっと驚く替え歌を歌って満場を沸かせた。
これは人前で喋ることもあるぼくにとって、大きな教訓になった。ビールで乾杯して、ちょっと立食の食べ物を腹に入れたところで、主役の弟さんと会場を途中抜けして、三愛ビルの二階にあるドトールで珈琲飲みながら(一般のドトールより倍ぐらいの料金)、あれこれ雑誌編集時代の思い出話をする。ぼくが最初に東京で務めた出版社の上司だったヒトなのだ。このヒトに会うために来たようなもので、喋れてよかった。
深夜、中学時代の恩師U先生から長電話。「赤旗」に連載されている記事を、大激賞して、うれしくてうれしくて、コピーしてみんなに配って自慢している、と言ってもらえる。ありがたいことだ。
中一の担任のH先生が、この別の中学(ぼくは中学を三つ行ってる)のU先生と大親友だとは、前々からうかがって、奇遇なことだと思っていたが、そのH先生の奥様がさいきん自死されたと聞き、ショックを受ける。