遠藤のエッセイはいいぞ

okatake2009-06-25

朝、けっこう激しく雨が降っていて、いつのまにか止んだ。今日も暑くなりそう。
とはいっても、わが地下室は、ひんやりして、一階とは2、3度違うのではないか。夏でもほとんどクーラーをつけずに済む。おまけに小野リサをかけると、湿度が下がる気になる。そこが少し不満だったりもするのだが。
明日から仙台なので、一日早めてサン毎へ。その前に「ギンレイ」。とても2本は見れない。ちょうど昼どきで、すぐ近くの立ち食い蕎麦(ちゃんと席のある)できつね蕎麦。かきあげ蕎麦と値段は同じだが、なんて書くと塩山さんみたいだが、あげが一枚丸々入っていて、しかもあんまり甘くない。これは気にいった。
「ギンレイ」で時間にあった「ディファイアンス」だけ見る。ナチス政権下、ユダヤ人狩りから逃れ、森に集団でたてこもり、ドイツ軍と闘う共同体を描く、これは実話なり。主演のダニエル・クレイグは、最新の007シリーズでボンド役をやった、犬顔の役者。なにしろ実話なんだから、文句のつけようもないし、ダレることなく最後まで見てしまったのだが、主役のリーダー、平常時なら平凡な男かもしれないが、あんなにきれいな若い女をものにして、しかも英雄として生き残って、うまくやりやがったな、という思いも最後まで消えない。ぼくの心が歪んでいるからか。
毎日で、太宰本の詰め、同時に、毎年恒例の神保町ガイドについて、担当者と話す。
サン毎終え、「小説新潮」7月号と、ほりのぶゆき『猛虎はん』を(これは、岡崎さんでしょう)ともらう。ほりのぶゆき虎キチとは知らなんだ。
いつもなら、荻窪「ささま」、西荻散歩をして帰るところだが、まったく元気なし。そのまま国立へ。電車降りぎわ、ちょっと離れた席に妻を発見。駅前で飯を食って帰る。外で妻と出会うと、少し照れくさいのはどういうわけだろう。
夕食後に眠り、起きて「わたしが子どもだった頃」(小沢征爾)の後半、「アメトーク」、風呂、「世界ふれあい街歩き」セレクションの後半少しを見る。風呂で、遠藤周作エッセイ『冬の優しさ』(新潮文庫)を拾い読む。夏の軽井沢での堀辰雄の記憶、若き日に渡仏して、リヨンでの学生生活など、シリアス遠藤の一面を覗かせる文章の数々。「ブ」で105円で見つけたら、買ってみてください。
遠藤は昭和25年に渡仏。須賀敦子は少し遅れて昭和28年。ただし、遠藤は須賀より6歳年上。遠藤はカトリック左派の雑誌「エスプリ」を愛読、留学二年目に同誌を発行すうる書店「スイユ書店」へ行く。須賀のイタリアの「コルシア書店」など、この時期、書店がレジスタンスの拠点になっていたことをうかがわせる。
ほんとうに、本を雑読していると、よくこういう偶然に出合うな。
お待ちかね、プレ「善行堂」の内部写真が、林哲夫さんによりアップされている。なるほど、これはお洒落な店になりそうだ。http://sumus.exblog.jp/
日誌はしばらくお休みです。