詩の女神が舞い降りて

okatake2009-03-15

今朝、起きて朝刊を読んだら、今年のH氏賞中島悦子さんが決まったとあってびっくり。昨日、深川いっぷく亭でも話したが、荒川洋治さんにくっついて韓国旅行をした仲間なのだ、中島さんは。うちにも何度か遊びに来たし、ある時期までよく、一緒に集っては喋っていた。受賞となった詩集『マッチ売りの偽書』(思潮社)も送ってくれた。現代詩を書いている者にとって、H氏賞がどれほど名誉な賞か、ぼくはわかるつもり。本当におめでとう!
で、昨日、ピッポさんと詩を朗読したり、詩の話をしたりしたが、そのなかで金子彰子さんの「二月十四日」という詩を紹介したら、その夜、「古本ソムリエの日記」に、作者の金子さんが書き込みをしていた。ほんとは、このブログにコメント欄があれば、ここに描き込んでいただけたのだろうけど、ないので、困って「古本ソムリエ」にたどりついたらしい。喜んでもらえたようでよかった。「二月十四日」が、中学生のときの詩と知り、驚嘆する。なんという早熟。
昨日、今日と詩の女神が大忙しで、いろんなことを見せてくれたような、そんな両日だった。
高円寺西部古書会館の即売会が今日は100円均一となる。20冊ほど買う。さすがに買いごたえがある。帰り「音羽館」に寄って、ここでもこちょこちょと。「興居島屋」で澄ちゃんとあれこれおしゃべり。ちょうど、神保町「文房堂」で、グラシン紙を買ってきたところで、そのグラシンがいかに良質か(サイズも少し大きい)を教えられる。グラシンは文房堂、ということであった。たしかに、絹のようななめらかな紙。10枚だけ頒けてもらう。カール・ハイアセン『復讐はお好き?』文春文庫を読了。楽しんで読んだ。文春文庫の青背海外ミステリははずれがないような気がする。
金子さんから許可いただいたので、その全文を紹介したい。バレンタインデーの日の告白、失恋、といった、どう扱っても通俗的にしかならないテーマを、よくぞ、たった一人の個人の失恋として、その悲しみをコトバで追いつめて、しかもユーモアをもって描き出す。驚嘆すべき技術だと思いました。それが今年52歳のおっさんを動かす(もっとも「乙女のワルツ」にホロリとくるようではあてになりませんが)。これこそ、「詩の力」にほかならない。井坂洋子さんのちくま文庫はあんまり見ないなあ。




二月十四日 金子彰子


いわし焼く夕方
「焼き方が足りんぞ」
その一言に堰がきれ
とめどなく嗚咽漏らす


涙の中をいわしが泳ぐ


「私だってね、いるのよ、でもね、あの娘の霜やけの方が
好きなのよ、意地はっちゃってさ、それだっていうのに――」


タツぶとんにしみ込みたい


実はもぐって赤外線は無色な筈?
「コタツを暖化して見せ・」
ふと・とぎらす声は誰のもの
私に聞こえるのは一つだけ
聞こえなくてもいいの


誰のために素直になればいいか


机の上はきまった形
ぐいと手を伸ばす
破き外して紙片を捨てて
結局趣味じゃなかったわ
はたから見ればなのめに
ぐじゃと一噛み噛み緊め


やみくもに涙すいこみ食べてしまった


※言わずもがなの注をつけておくと、「はたから見ればなのめに」は、「『はたから見ればな』の目に」という意味で、これは「結局趣味じゃなかったわ」と言う「私」に対し、他人(もしくはもう一人の私)が「はたから見ればな」という他人からの突っ込み、と取るべきでしょう。違うかな。こうなると金子さんの他の詩も読みたくなりますね。「鳩よ!」にも作品を発表していたようだが。ぼくが「荒川くんの現代詩冒険」を描いていた時と重なるのかな。

※※追記 「古本ソムリエの日記」コメントの金子さんの説明によると「なのめに」は、「斜めに」の古語ということでした。勝手に間違って解釈してごめんなさい。高校の教師時代、いちおう、古典も教えたのだが、恥ずかしい。しかし、そんな曲解を抜きにして、誰がどう読んでも素晴らしい詩で、15歳の作とは思えない。