川本三郎さんの映画論

okatake2009-02-22

川本三郎さん新刊映画論・インタビュー集『現代映画、その歩むところに心せよ』(晶文社)をいただく。2003年から08年までに公開された、日本映画、アジア映画の作品評と映画監督インタビューを収録する。アジア映画はほとんど見ていないが、日本映画は、CSと「ギンレイ」のおかげで、この数年分はけっこうフォローしている。是枝裕和『誰も知らない』、山下敦弘リアリズムの宿』、西川美和『ゆれる』、山崎貴『ALWAYS 続・三丁目の夕日』など、ぼくも見た日本映画の秀作群を、川本さんの文章を読みつつ憶い出していると、いま、現代日本映画の大きな収穫期にあると気づく。子どもを中心とした家族の描き方、日常の静かな風景の描写など、そこにはいくつか共通点があり、それは昭和30年代黄金時代における、日本映画のお家芸だった。
ちょうど今日、午後、狭いリビングで「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見て、泣き笑い、映像の美しさにオドロキ、すっかり堪能した。同じ時代に少年期を送った者にとって、これはたまらない映画だ。この映画が、正篇を含め、過去を美化しすぎる、というかたちで批判されたことはよく知っているが、ちょっと違うんだなあ。川本さんはこう書いている。
〈ノスタルジーというと、必ず、うしろ向きでいけないという批判が出る。判で押したように「過去を美化するな」といわれる。「単なるノスタルジーではなく」は、ノスタルジー批判のお決まりのいい方である。「単なるノスタルジーではなく」を見るたびに、「ノスタルジー」のどこが悪いのかといいたくなる。とくに、大いなる破壊の連続の都市、東京に住む人間にとっては、「ノスタルジーこそ、生きる支えだ」といいたくなる。〉
よっ、川本! と大向こうから声をかけたくなるタンカだ。まだ高速道路が架かる前の、日本橋。低いビルに石畳の道。都電が重い響きを響かせ、その向こうに広告看板。背広姿のサラリーマンとともに、慎ましい服装の薬師丸ひろ子とコドモ二人がゆっくり橋を渡る姿が俯瞰から捕らえられ、ゆっくりカメラは降りていく。その昭和三十年代なるものの再現において、この映画は、それだけでも十分見るに耐える映像を作り出している。日本の美が、桂離宮や山里、紅葉する山々だけにあるのではなく、こうした都市にもあることを、この映画が改めて気づかせてくれた。ぼくはもう降参、というかたちで屈伏してこの映画を楽しんだ。こういう町をセットみたいに再現したら、そこに住みたいという人は大勢いるのではないだろうか。疲弊する地方都市に再び人を呼び戻す手法として、商店街など一部で昭和30年代なるものの再現は試みられているが、もっと過激な町づくりが試みられてもいいのではないか。
午後、国立散歩。「谷川」で棚を見ていて、文庫の棚の前に立つと、「うちは文庫はいいの、ないよ」とおやじさんに言われる。ぼくの顔を見ると、「うちは文庫は入らないから」など言われる。なぜだろう。まったくまいってしまう。それでもいい本が出るから、つい行ってしまうのだが、行くとがんじがらめにされてしまうのだ。今日は「ああ、いいんです」と答え、どうしても文庫以外のものを買って帰ろうと、「現代思想 ゴダールの神話」を800円で買う。これ、持ってるけどな。丸坊主にして、ひげも剃り、まったく違う姿になって行くしかないか。
駅前「みちくさ」店内にいると、クボタくんと会う。ジャズ・バー「キャンディ・ポット」に移動して、生ビールを飲みながらひさしぶりに喋る。クボタくん、幼稚園まで「けやき団地」にいたそうで、その頃、周辺はもうなんにもない畑と雑木林だったそうだ。目に浮かぶな。いま、実家は鎌倉にあるというので、「鵠沼海岸」の「余白や」を地図を描いて紹介する。誰かにも言われたが、ぼく、地図を描くのがうまいんだよ。
夜、3チャンネルで、多田富雄白洲正子の交遊を取り上げた番組を少し見て、やめる。白洲死後の、夫の次郎も含めての、よってたかって神格化の流れに、ちょっとついていけない。ただ、多田富雄の書簡の文字の美しさには見ほれる。美しい文字で手紙を書けること。それだけで、その人は生きている価値がある。