晴れの日でも月曜日は

okatake2009-02-02

昨夜、ビデオテープを整理していて、山田太一「チロルの挽歌」(上下)、探偵ナイトスクープ総集編、が入っているのを見つけ、ついつい見てしまう。「チロルの挽歌」は高倉健主演、北海道の炭鉱町が疲弊し、市長の要請でテーマパークが作られる。その指揮に東京から来たのが高倉健。これ以上は言わない。
朝、9時前起床。毎日「あった、あった。」は細川周平ウォークマンの修辞学』朝日出版社。そして匿名コラムを一本書く。単行本の企画案のため、ネタを収集し、夜にまとめて書く。
CS某局よる古本ネタの出演依頼があり、一度引き受け、電話で打ち合わせしたが、ギャラが1万から2万と言われ、あまりの安さにオドロキ「それなら2万、なんとかください」と言ったが、翌日、ギャラが折り合わないと断ってきた。「見送らせてください」と言うが、ぼくからお願いしたわけではない。ひどいもんだ。ぼくが必要というより、1万でも黙って出る人間が欲しいらしい。それならそうと、はっきり最初に言えばいいんだ。「今回、1万しか出せずにもうしわけないが、どうしても××さんに出ていただきたいのです」と言えば、「いいよ、わかったよ」と引き受けただろう。梯子をかけておいて、こちらの時間を割いて、向こうの都合で平気ではずすような態度が気に食わないのだ。1万を2万という仕事に値しないと考えられたなら仕方ないが、不快が去らない。
使い捨てのような、どうでもいい仕事は警戒すべし。書くことがわれらの基本。それが通用しなくなったら、滅びるだけだ。その覚悟は、20年前に上京したときに、とっくにできている。家族にはもうしわけないが。タダでも、意気に感じてする仕事はする。そのことも変わらないが、霞を食って生きているわけではない。
出版不況はますます深刻になり、ますます書く仕事は軽視されていくだろう。それでも、本当にいい仕事をすれば、周囲が黙っていないだろう。いい仕事をするしかないんだ、と52歳を前に改めて思う。
森有正全集 1 バビロンの流れのほとりにて/流れのほとりにて』を、ところどころ拾い読む。森有正の散文は鎮痛剤のようなもので、心を鎮めるときに、たまに読む。ビル・エヴァンスのピアノトリオを聞くように。 
内堀さんから、週刊ブックレビューで『ボン書店の幻』紹介のお礼状が届いた。筆文字による、丁寧な文章に感動する。内堀さんのような仕事をすれば、一目瞭然。誰もが感服する。見習わなければと思う。50代でどんどん人が死んでいく。これからの一年、一年は、30代、40代と違った意味を持ってくるだろう。基本的なスタイルは変えようがないが(急に勤勉になることはありえない)、より「自分らしく」を掘り下げていく50代になりそうだ。