談志はわからない

okatake2009-01-03

こんな晴天続きの正月というのもあまり記憶にない。昨晩、かつてBSで10時間放送した「まるごと立川談志」を半分に編集したのを、3時間ほど見て寝た。談志の私生活のドキュメント、「やかん」「芝浜」などの落語、それに毒蝮、円蔵の談志評など。けっきょく、ぼくは談志が好きになれないと、これが結論。大ブーイングがあることを承知で言うのだが、巧いことは認める、革新性、独自性も認める、芸ごとへの人一倍強い愛情も認めながら、これは違うのではないか、といつも思ってしまう。例えば「芝浜」。上京する年に、つまり20年近く前に京都会館で客席ガラガラの独演会へ行って、「芝浜」の出来の素晴らしさに驚いた経験があるが、そのときの「芝浜」とも今回は違う。三木助「芝浜」論(『雑談王』所収)でも書いたが、この噺は、財布を拾ったのをウソと言い含めるところに噺の核心と弱さがある。談志は、そのウソの部分をなんとか説得力をもたせようと、あれこれ演出を工夫するわけだが、いや、落語なんてもともとウソだらけなんだから、あんまり理屈でねじふせようとすると、かえっておかしなことになる。この夜見た「芝浜」にその弊害が見られた。ウソだと知らされた男が、妻の喉頸をつかまえて「てめえ、この野郎」とやる。三木助はそこをあっさり「かかあ、おめえは偉えなあ」とすぐに引き下がった。これは演出の違いとして良しとしても、談志はそのあと「わたし、あんたのこと好きなんだもん」と加えた。多くはここで涙を誘うだろうが、ぼくは白けた。言い過ぎである。言わなくてもわかっていることが前提で成り立っている噺を、その上からペンキで塗るようなことをした。これは野暮ではないか。
関西人のおまえに、談志の粋、良さがわかるか、と詰め寄られたら、ハイ、そこんとこがわからへんのですわ、と認めるしかない。そこがいいのだ、と言われたら、認めたくないよさ、なのだと言ってもいい。まわりがよってたかって神様のように御神輿をかついで持ち上げるのも、なんだか気味が悪い。落語なんて、もっと気楽に見ていたいのである。しかし、その前夜、なつかしの笑芸を振り返る番組での、今年三平を襲名するなにがし(思い出した、いっ平だ)かの、バカさ加減にはあきれかえった。これで芸人と言えるかね、と思えるほど、了見が低く、浅薄なありさまだった。高信太郎がファクスで、イラスト入りの「ちゃんトリ」をリクエストしたのを、「絵がうまい人から紹介します」と言ったのには、ひっくりかえった。あとでお詫びと訂正が入ったが、誰がどう見ても高信太郎の絵であり、サインが入っている。高信太郎も赤っ恥をかかされた。円楽のVのあと「あの馬面はいつからなんですか」という突っ込みも、おもしろくない上に無礼である。せっかくの番組(レツゴー三匹の革新的舞台など)が、こやつのおかげで興味半減。「サン毎」の連載で佐野真一が書いていたが、むしろ三平を継ぐべきは泰葉なのである。
今でもよく読み返す梶井の作品の番外にある「習作」は、ほとんど習作の域を出ないが、例えば「太郎と街」などはなかなかいい。
「秋は洗いたての敷布(シーツ)のように快かった。太郎は第一の街で夏服を質に入れ、第二の街で牛肉を食った。微酔して街の上に出ると正午のドンが鳴った。
 それを振り出しに第二第三の街を歩いた。飛行機が空を飛んでいた。新鮮な八百屋があった。魚屋があった。花屋があった。菊の匂いは街へ溢れて来た」
ここに梶井節がある。
「ブ」のフェアで、DVD、メルヴィル「いぬ」、クロード・シャブロル「美しきセルジュ」を買う。年賀状は32枚届く。