手料理のちょっとした隠し味

okatake2009-01-02

今日も晴天。薄い青空に、筆の腹を使って描き殴ったような白い雲の列が、強い風で流されている。
朝4時に目覚めてしまい、一人、コーヒーをわかし、イギリス食パンに、薄いチーズとあじフライを挟んで食べる。7時ごろ二度寝
午前中、駅伝往路と、志ん朝追善のTBS落語研究会を交互に見ながら過ごす。黒人走者(名前は忘れた。モグスじゃないほう)の20人抜きというのを目撃する。一人動く歩道の上を走っているようだ。
志ん輔「お見立て」はややマンガチックに演じ、童顔の彼に合った演出。口跡のいたるところに、師の喋りが残っている。
午後、家族で吉祥寺へ。武蔵野八幡神社で初詣と思い、行ったら、参拝客の列が外の道路まで続いている。あっさりあきらめる。家族で二手に分かれて正月の吉祥寺の町中を歩く。福袋を抱えた人々が目立つ。
藤井書店は休みで、行くところなく、無印良品、「デ」などさまよう。結局最後は「ブ」か。正月でもまったく変わり映えしない。
和田誠『お楽しみはこれからだ』、村上春樹カンガルー日和平凡社篠田一士『二十世紀の十大小説』新潮文庫梅崎春生桜島・日の果て』新潮文庫(改版)を105円で買う。いずれも所持しているものだが、仕入れということで。『桜島』カバーは香月泰男の「桜島」を使っている。ざっくりと手をかけていないようで、品位のあるカバーは新潮文庫ならでは。
とにかくうかれたように消費熱を爆発させている人々の群れのなかを泳ぐと疲れる。「ロンロン」でパンを買って帰る。夜はカニ鍋。最後に雑炊。最後に鍋にポン酢をまわし入れるのは叔母流。「まあ、あんたちょっと、騙されたと思って、うちの作った雑炊食べてみて」は、母方の叔母たちが手料理をふるまうときの口癖。「おばあちゃんもそういうなあ」と娘。たしかにうちの母も言う。これが一種の催眠術というか調味料なのだ。
昨日からディック・フランシス『烈風』の再読。これは年末に最新作『審判』を読んだためなり。気象予報士のペリイ(予言のできる祖母に育てられる)が、奇矯な同僚クリスとともに、軽飛行機で颱風の目を飛ぶという冒険に挑む。しかし機は墜落し、島に流れ着いた主人公を待つもう一つの恐怖とは? 例によって、頭の良過ぎる主人公が、その頭の良さゆえに、邪悪な悪の手で翻弄される。いささか変人の同僚ペリイの存在が、この作品に動きをもたらすが、彼はまた詩を読むオトコとして描かれている。闇のなかで、宇宙飛行士を詠んだ自作を朗唱するシーン。
「あそこには孤独なコンクリートの発射台がある、ほこりだらけの草の中に深々と、
 それはほとんど炎の跡のない円、直径二十フィートもない、
 ロケットはそこに立ち、中の男たちは信頼と勇気を持って待つ、
 星への発射を」

二日目の追加年賀状は五枚。