届いたタオルセット

okatake2008-11-18

もう部屋のなかが、どうしようもなくなっていて、本を踏んで歩くようになった。いかんなあ。本を踏むようになってはおしまいだ。
先日、教育雑誌に「蝶」についてのコラムを書いたのだが、送ってから、シュナック『蝶の生活』(岩波文庫)という絶好の本を持っていることに気づいた。もう、おそいや。自転車で朝、走っていて、コムラサキの群生に出会って、立ち尽くす描写など美しい。これ、いい本。
昼、家内と車で上々堂へ。交通安全強化週間なのか、あちこちに警察官が立ってたり、自転車に乗ってる姿を見る。上々堂へ文庫と単行本を追加。あいかわらず「ちくま文庫」がよく売れる。
帰り、連雀通り「ブ」で、三遊亭金馬『金馬のいななき』朝日新聞社、マンガ日本の古典がひと揃い出ていて、未所持の古谷三敏浮世床中央公論社、「現代詩手帖」(鶴見俊輔多和田葉子特集)、それに文庫を仕入れのために十冊近く買う。上々堂の売り上げがあるので、CD売り場を物色、岩崎宏美がカヴァー曲を歌う「ディア・フレンズ2」を2000円弱で買う。「白い色は恋人の色」「五番街のマリーへ」「海岸通」「早春の港」「白いページの中に」など12曲。ちょっと選曲がストレートすぎて、ぼくがプロデューサーなら、もう少し、知られていない名曲を歌わせるな。
このところ、受贈書を紹介しきれていません。ごめんなさい。
宅急便で珍しい名前からタオルセットが届く。名前は、ぼくの知っている高校教師時代の同僚の先生の夫人名で、すぐに、その先生が亡くなったのだとわかった。ぼくは弔電も、なにもしていないが、たぶん年賀状を見て、送ってくださったのだと思う。亡くなったのは福井高校という公立高校で、机を並べていた国語の先生で、講師のぼくは、その先生を父親のように慕って、あれこれいつも話をしていた。その学校を去ったあとも、ずいぶん長く年賀状のやりとりがあったが、数年前に途切れた。すると、今回の訃報。まだせいぜい60代の前半ぐらいのお年のはずだが、遠い空からご冥福をお祈りする。今年も、年賀状を欠礼するという通知が届きつつある。
夜、荒川(洋治)さんから、ひさしぶりに電話。明日、東京堂でのトークに申し込んでいたのを、名簿を見て、それで電話くださったのだ。仕事のこと、あれこれ心配してくださる。「いやあ、活躍してるねえ。よく書いてるねえ」と、荒川さんから言われると恥ずかしいような気持になるのだ。
夕方、「灯台守の恋」を見る。これは「ギンレイ」で去年に観たはず。しかし、ほとんど忘れていたな。戦争で左手を負傷した若い男が、ブルゴーニュの海沿いの田舎町に、灯台守としてやってくる。しかし彼は経験がなく、しかもよそ者とあって、村の者たちは白い目で見て、追い出しにかかる。しかし、コンビを組む灯台守の美しい夫人と恋仲になって。いつも空は雲っていて、海は荒れている。人出を必要とする灯台は、海のなかに立っている。雰囲気のある映画だ。
重松清『とんび』読了。

なお、西荻ブックマークにひきつづき、佐藤泰志の地元、函館でもイベントが開かれます。道南の方で、これを見られている方(って、いるんでしょうか)、ぜひ。

佐藤泰志作品集」(クレイン)刊行1周年記念講座

(情報登録日 2008-11-06)
活動エリア 道南

佐藤泰志さんの作品集が出されて1年を迎えましたことを記念して、講演とフリートークの会をおこないます。
講演:「佐藤泰志とその世界」文弘樹氏(図書出版「クレイン」代表)
フリートーク:文弘樹氏、陳有崎氏、大城道雄氏ほか

◇日 時:11月29日(土)14:00〜16:00
                        
佐藤泰志について
1949年函館生まれ、函館西高在学中「有島青少年文芸最優秀賞受賞「きみの鳥はうたえる」などの作品が度々芥川賞候補になる。
1989年「そこのみて光輝く」が第2回三島賞候補に
1990年自殺、享年41歳
上記のほか代表作に「海炭市叙景」など。
再評価が進んでおり、クレインより作品集が復刊された。 


申込締切 -
活動期間 2008年11月29日(Sat) 〜 2008年11月29日(Sat)
活動曜日 土 活動時間帯 午後(17:00まで)
活動場所 サン・リフレ函館 函館市大森町2-14
交通機関
参加費用
1,000円
謝礼
連絡先:
〔任意団体(法人格を持たない団体)〕はこだてルネッサンスの会 <担当 西堀>
Eメール nishiborims7.ncv.ne.jp
TEL:0138-32-4052 FAX:0138-32-4052
北海道函館市




ちなみに、「西荻ブックマーク」で、何度か話に出た、佐藤泰志そこのみにて光輝く」が、三島賞に手が届きながら、及ばなかった理由を、この選評から推測してもらいたい。あの場にいた人には、わかるよねえ。大岡玲が取れたのは、大江と中上の押しがあったからで、ほかの選考委員はまったく認めていない。そこで、中上の大岡玲の「黄昏の」評を読むと、
「評価が別れる。私はふんぎり悪く、舌ったらずに見える文章に沿って読んだ」「陳腐な筋」など苦しい。それでも中上が押したのは、政治的力学が働いたのだ。大岡の作品に比べ、はるかに中上好みのはずの「そこのみて光輝く」を蹴ったのは、作品の評価とは別な話だ。江藤淳の文芸評論家として、身体を張った評にくらべ、中上の評の歯切れの悪いこと。
江藤が言う、第二部の出来が一部に比べて落ちるのも、「西荻ブックマーク」で小山鉄郎さんが、説得力ある理由を話されていた。ほんと、来なかった人は残念。今回の「西荻ブックマーク」は、ほんと、すごかったんだよ。来た人は、みんなで自慢して語り継ぎましょう。


◆選評(抜粋)

江藤淳
私は結局、敢えて推すなら佐藤泰志そこのみにて光輝く』ぐらいしかないというような気持であった。殊にこの作品の第一部は、文章がピチピチと躍動していて艶と色気があり、千夏という女の描き方も巧妙で、思わず惹き込まれて読んでしまったからである。ところが、この作品については第二部が弱いというのが多数意見であった。なるほどそういわれてみれば、(中略)第二部には、説明が理に落ち過ぎている所もあり、かつての日活映画のアクションもののような安っぽさもないわけではない。

大江健三郎
大岡玲は「ぼく」のナラティヴのリアリズムで押しとおす。綿密に近景から。そこでスマートに行かないところが出て来る。メリハリがきかぬ、冗長な、という印象も確かにないとはいえまい。しかも、これは同じく若い時から小説を書いて、それこそさんざん悪戦苦闘してきた――今なお!?――者としていうが、これは新作家にとって正しいやり方なのだ。ここを突破するほかに、豊かなところに出る道はない。

筒井康隆
おれが推したのは島弘之氏の『〈感想〉というジャンル』であった。「小説も評論も、否、科学論文も新聞記事さえも、いったん文章となったものはすべて虚構」という持論のおれにとって、島氏による小林秀雄論は納得できるものであった。小林秀雄の批評に登場する「私」は虚構の登場人物であり、その批評は「メタ虚構」であるという論旨にはわが意を得た。

中上健次
 ふわふわした世事に疎い若者の青春の感性に沿って読んでいくか、その感性が招き入れるパターンを読むかで、この作品(「黄昏のストーム・シーディング」)は評価が別れる。私はふんぎり悪く、舌ったらずに見える文章に沿って読んだのだった。光る箇所が幾つもある。あえて言えばこの文章に可能性がある。読みながら陳腐な筋を苦痛と思わなかったのは、青春を描いた小説は狂人に出会っても魔に遭遇してもいっこうに不思議はないからなのであろう。

宮本輝
 結局、大岡玲氏の「黄昏のストーム・シーディング」が受賞ということになった。この作品は、大江委員と中上委員が強く推し、私を含めて、他の三人は推さなかった。私には、この小説のどこがいいのか、さっぱりわからない。文章は心に入ってこないし、地の文で書き切れなくて、それを会話で誤魔化しているし、天候を人間の力によって変えようと試みるプロットが嘘っぽくて、思いつきの寄せ集めで小説を仕立てたという気がする。