慶応3年生まれは漱石、そして伊東忠太

okatake2008-08-18

今日も涼しい。日差しはまだ強いが、自転車に乗ると、肌に触れる風が涼しい。
夏休みの宿題を溜めている娘を、叱ってやってくれと外出する妻に言われ、いちおう、「やっておかないと、あとで苦労するぞ」とは言うが、自分は、休み中、宿題などやったことはなかった。いつも新学期が始まってから、あわてて間に合わせたのだ。だから強く言えない。
昼は自転車で娘と中華へ。このところ、娘が「冷やし中華」に凝っていて、毎日でも食べたいらしい。なんでも「酢」がブーム、だという。そうか。
「遊歩人」原稿をなんとか送る。枚数制限があり、じゅうぶん書けなかったが、これは独自に引き延ばして書く鉱脈ありと感じる。
ながいあいだ、放っておいた「坂と文学」にかかり、6枚ほど書くが、調子がつかめない。間が空き過ぎた。なんとか軌道に載せないと。半日、漱石の復習。
今日、ようやく晶文社バラエティブック『雑談王』の最終ゲラを島崎さんに手渡す。もうまな板の鯉の心境だ。九月十日までには見本ができそう。
この晶文社本が、ぼくのもの書き人生のひと区切り。オリンピック選手で言えば、一度引退してもいい気分。ここからさらに、文業であらたに、同業者に伍して張り合える仕事ができるかどうか。自分らしい仕事とは何なのか、さらに探っていく必要が出て来た。もう50代に突入したのだもの。比べるのもおかしいが、漱石は50を前に死んでいる。
夜、BSで「建築が語るもう一つの明治」という2時間もののドキュメンタリーを見る。伊東忠太を中心に、近代日本で西洋と格闘した人々を建築とともに紹介。伊東忠太は、克明な絵入りの自伝、それに大学時代の、日々の日記があり、これはなんとか刊行してもらいたい。大学時代、毎日自分の生活を100点満点で採点していた。また、人妻を項目別に採点した表もあり、好ましき人物なり。漱石を始め錚々たる人材を生み出した慶應三年の、伊東もまた、同年の生まれなり。
温い湯に浸かり、「ブ」で買った山川出版の高校教科書『日本史A』を読む。これは明治維新から現代までを扱う。インターネットや図書館のリファレンス機能の使い方を示しつつ、自分で各テーマを研究するよう指示している点が、ぼくたちが30年前に使った教科書とは違う。表紙デザインは菊地信義