滝本誠さん、広瀬くんとの一夜

okatake2008-05-01

朝、眠りのなかで、身体が揺れて、あ、地震だと思いながら、また少し寝て、起きたときは、あれ、夢だったかと。しかしニュースで地震の速報があり、やはり夢ではなかったのだと思う。
昨日、著者代送で堀江敏幸さんの新潮文庫『河岸忘日抄』が届く。堀江さんから本を贈られることをした覚えはなかったが、ひょっとして「ビッグ・イシュー」連載で、『雪沼とその周辺』新潮文庫を取り上げたのが、まわりまわって、堀江さんの耳に届いたのかと思う。それしか考えられない。この連載「ひぐらし本暮らし」というのですが、新刊ではなく、旧刊を、それもなるべく文庫になったのを(いま、流通しているもの)を取り上げるようにしている。なるべく長く続いてほしい連載だ。
坂巡りがいよいよ再開ゴーとなり、集英社新書のHPに連載が決まる。1カ月に一回はアップして、一年後の新書化を狙う。一応、リストアップはしてあるが、そういえば、大岡昇平の『幼年』と『少年』が渋谷周辺の地誌であり、ここに坂がからむはずだと思う。まずは漱石「それから」からスタート。
昨夜、西荻音羽館」で、マガジンハウスの滝本誠さんと待ち合わせ、店主の広瀬くんとイタリア料理店で歓談。5月28日、西荻ブックマークで滝本さんと喋ることになっていて、そのリサーチ。滝本さんとは、ぼくがマガジンハウス「自由時間」ライター時代の、担当編集者という関係。滝本さんは、日本でのデイヴィット・リンチの紹介者として有名。近著は『コーヒーブレイク、デイヴィット・リンチをいかが』(洋泉社)。「タキヤンの部屋」というHPがある。
この夜聞いた話は、初めて聞く話ばかり。京都の山奥で育った少年時代、丹羽文雄のHなラジオドラマや、胸元の開いた服を来た女教師に興奮。超進学校「福知山高校」時代、津上慎太郎という名で寺山修司ばりの短歌を書き、当の寺山から激賞を受ける。上京した東京は安保で荒れ狂って、奇妙きてれつな下宿(ガラス張りの二畳間)、新宿フーテン時代、マガジンハウス入社と、軽々と小説になるような、熱を帯びた、興味深い話ばかり。これを、本番で繰り返します。あと、滝本さんが持参した本の紹介、映画の話、それにこの日来てくださったお客さん全員に、何か、滝本邸から映画関係のグッズや資料など、プレゼントされるという話でした。これは見逃せません。ぼくも欲しい。予約は西荻ブックマークからアクセス、もしくは「音羽館」に電話、してください。
「ささま」「音羽館」で相も変わらず均一あさり。両所でちょこちょこっと買いましたが、これは、ちょっと珍しいんでないかい。萩原朔美のエッセイ集『深夜の電話』皓星社(1979)。新書館フォアレディースをひとまわり小さくしたサイズ。いまは亡き鴨沢祐仁の装幀、挿絵。弘田三枝子の記述があり、アメリカンポップスのカバーを歌い「本物以上の存在感があってひかれたものだ」と。