もの言はぬ男となりて

okatake2008-04-10

雨の朝、迎えに来た黒塗りハイヤーに乗って都心へ。神宮で中央を降りたところで、警官がたくさん立ってて、道路を阻まれ、コースを変えられた。外国要人が来日しているらしい(ダライ・ラマ?)。ルーティンになっているコースが、少し変更されるだけで、東京がまた新鮮に見える。道路が雨で光ってらあ。
TBSも人員異動があり、ぼくを起用してくれたHくんが他の番組に移り、入社二年目の若者が新しい担当に。『女子の古本屋』(筑摩書房)5冊プレゼントの告知を放送でする。
出番が終わってすぐ、ハイヤー飯田橋へ。「ギンリン」で、初回から「クワイエットルームヘようこそ」「めがね」と邦画を2本見る。どちらもまあまあ面白く見たが、前者は前半の何がなんだかわからないシュールなシチュエーションの方がおもしろかった。謎解きみたいなのはつまらない。大竹しのぶはやりすぎだろう。まあ、蒼井優さえ出れば、それで満足なのだが。クドカンがよかったなあ。しかし、客席はよく受けてました。
「めがね」は、これどうなんでしょう。「癒し」という、一番嫌いな言葉を使わないと、説明できないところがつらい。「かもめ食堂」より、もっと「まったり感」が増し、それをよしとする者はいい気持ちだったろう。しかし、この退行感はちょっと気持ち悪いな。編集者役の若者が、いかにも「らしい」のはおもしろかったが。あと、市川実日子はいいねえ。結局、ぼくはかわいい女の子が出れば、それでいいのか。それでいいのだ。
飯田橋「ブ」で、ケータイセドリ野郎に、邪魔だな、この野郎、と思いながら蔑視の目を向け、その脇から『和田誠の仕事場対談』(河出書房新社)を、さっと抜き(お前の目は節穴か!)、隣りの棚から『美輪明宏のおしゃれ大図鑑』(集英社)を抜く。これは「ひと箱」用のセドリ。
車中と映画館の休憩時間は、ずっと小川国夫『アポロンの島』を。追悼読書。やっぱりいいなあ。目が洗われていく。
「寄港」は浩もの、の一端で短いスケッチ。トルコの港で、宝石商にブローチを押し売りされそうになる。
「浩は、右手の中に一杯のブローチを地面に投げつけた。浩はそれが地面へぶつかる幽かな音を聞いた。軽い、気持のいい音だった。彼は駆けて港へ行って、鉄舟の上の橋をポリスに呼び止められるまで駆けた。橋の板が雷のように鳴った」
 この「橋の板が雷のように鳴った」というところに、二十歳のぼくが鉛筆で棒線を引いている。なんだ、ちゃんとわかってるじゃないか。
帰り、中央線がまた、ひどいことになっていた。ずっと駅でとめおかれ、のろのろ動く電車。睡眠2時間で意識もうろうとしているところに、ようやく目の前の席が空き、倒れ込むように座ろうと思うと、後ろからおばあさんが、体をぶつけてくる。「あ、どうぞ、どうぞ」と譲って、中央線を呪う。
あちこちから、本ほかを送られたが、省略。「週刊新潮」が送られてきて、「あれ? ぼく、仕事したかいな」と思って、開くと、ああそうか、こないだの「月の湯」古本まつりが、モノクロのグラビア見開きで紹介されてて、浴槽に入って、洗い場の聴衆に向かって話すぼくが小さく映っている。これで、「あ、岡崎サン!」とわかるヒトは、マニア、だよ。
晶文社のバラエティ本のタイトル、二つ考えて、編集者のSさんに送る。「月の湯」で宣言した、坂の本、ちょうどいいタイミングで、集英社新書の編集者から催促がてら、仕切り直しのメールが送られてきて、これも今年、なんとかしたい。みなさん、「岡崎サン、あの『坂の本』どうなりました?』とプレッシャーをかけてください。
さいきん、風呂のなかに、愛蔵版の大岡信『新編 折々のうた 三』を持ち込んでパラパラと読んでいる。写真がきれい。
「もの言はぬ男となりてわが居れば世の常人はもの多くいふ」はアララギ派歌人、五味保義のうた。
あ、「広告批評」が、来年4月号、創刊30周年で休刊するようですね。