それでもいつかどこかの街で

okatake2008-02-04

西加奈子さん『きいろいゾウ集英社文庫のための解説をようやく脱稿。文庫解説となると、ふだん書いている書評より数倍緊張するな。なにより著者に気に入ってもらいたい、という気持ちが働くし、読者のためになれば、というプレッシャーもかかる。後々残るし。メモして、触れられなかったことなど、心残りはあるが、まあ仕方ない。しかし、西加奈子さんは、いい作家だと思う。
「ブックマーク ナゴヤ」の「一箱古本市」のための本を用意、値札をつけ、納品書に記入、宅急便で送付の作業をようやく終える。90冊近くを送る。
午後、寝床にもぐりこんで、西村賢太『暗渠の宿』を一挙に通読。「バラで集めた『椎名麟三全集』全二十四冊の揃いを知り合いの古書店主に頼んで業者の市で売ってもらった。一冊一冊集めていったので揃えるのに十年近くかかったし、(中略)これが十三万くらいになり」なんて文章が出てくる小説ってのが、まずもって驚異的だ。それら苦労して作った百万近くの金を、ソープの女にあっさりだましとられる。私小説を即事実と受け取るほど、こっちは甘ちゃんじゃないが、それにしても。
夜、BSで「カッコーの巣の上で」を観る。3度目か、4度目くらい。重い衝撃を改めて受ける。ジャック・ニコルソンがやらしいくらいに巧い。人間性を圧殺した管理の中で、開いた窓から、逃げようと思えば逃げられたマックが、なぜ逃げなかったか。これが主題だろう。チーフと呼ばれる、みんなからは聾唖と思われているネイティブアメリカンが、マックからガムを渡されて、礼を言うシーンが映画のヘソだ。
昨夜はDVDで「大脱走」を観たのだが、これ、自動車、自転車、蒸気機関車、バイク、飛行機、小舟、客船と、乗り物すべてが出そろう映画だったのだな。見せ場のマックイーンが、バイクで、鉄条網の柵を飛び越えるシーンが、じつはスタントだった、と何かの番組で見て知ったが、それだけは知りたくなかった。
ちかごろ、吉田拓郎「いつか街で会ったなら」が、無性に心にしみて、よくギターで歌っている。こんな気持ちになれば、春も近い。

なにげない毎日が 風のように過ぎてゆく
この街で君と出逢い この街で君と過ごす
この街で君と別れたことも 僕はきっと忘れるだろう
それでもいつか どこかの街で
会ったなら 肩を叩いて微笑んでおくれ


そろそろ髪を切らねば、と思う。


あ、そうそう。筑摩書房から3月刊予定の『女子の古本』(と、タイトルが決まりました)の、表紙デザイン案が送られてきました。浅生ハルミンさんがイラストを描いてくれた。ぼくの本じゃないみたいだけど、いいですねえ。石丸澄ちゃんといい、ハルミンさんといい、角田さんとの『古本道場』といい、意外に女子の力を借りた方が、ぼくの特性が生きる、というのは発見だった。