天国の日々、の日々

okatake2008-01-04

年が改まり、いっとき、日々が更新され、あたらしい空気がただよっているような気分になるが、それも三が日ぐらいまで。
手あかのついた、少し汚れの見える日常が戻ってくる。
3日は、昼過ぎ、高校時代の同級生、レオナルド藤田が遊びにくる。手みやげにもらった芋ようかんはたいそう美味かった。おまけに娘にお年玉までもらって、気をつかわせて悪かった。3時間ほど、ジャズをかけながらあれこれ喋る。お互い、50歳。もうすぐ51歳で、高校卒業後(というよりクラスが分かれてから)話すこともなかったが、紆余曲折をお互い経て、東京で出会った。不思議なことがあるものだ。
高校時代のアルバムをあれこれ見るうち、3年の時、ぼくが同じクラスだったIが病死していたことを教えられる。
夜は家族で「ブ」散歩。多摩センターまで繰り出す。しかし、ここは広いだけで、なんにもないところ。『谷岡ヤスジ傑作選 天才の証明』を105円で買えたのはよかったが。むしろ、その後に寄った聖蹟桜ヶ丘の「ブ」のほうが、中型だが棚が光っている。
堀江敏幸のエッセイで、映画「天国の日々」を紹介している箇所があり、それだけで見たくなるのだったが、多摩センター「ブ」でビデオを発見。買う。テレンス・マリックという寡作もいいところの監督。若き日のリチャード・ギアサム・シェパードが出演。1910年代、麦畑での季節労働に従事するビル、その恋人アビーと妹(語り手)。若き大農場主のチャックがアビーを見初め、結婚を申し込む。ビルは、彼が余命いくばくもないことを知り、アビーに結婚を勧める。そこから悲劇が起る。
神話的といっていいプロット。麦畑、刈り取り作業、夜の宴と映像が絵のように美しい(アルメンドロス)。これまで見ることがなかったのが不思議なような、これは質の高い映画だった。最初、ビルが製鉄工場で、溶鉱炉に石炭かなにかをくべる仕事をしていて、工場主といさかい、殺してしまうのが物語の発端なら、農場にいなごが襲来し(どうして撮ったのだろう、というリアルな映像)、過失から火で焼き払った後に起るもう一つの殺人と、「火」がモチーフになっている。これは、なにか作品論を書きたくなるような映画だった。
今日は、立川栄「ブ」が雑誌、児童書が半額で、あれこれ買い込む。刑事コロンボのDVDブックが雑誌扱いで、二枚買う。
娘の合格祈願に谷保天満宮へ参拝。いつもは閑散としているこの小さな神社も、さすがに大勢の人が押し寄せていた。もう手を合わせても、自分のために祈ることはない。ひたすら娘のことで祈る。親とはそういうものだ。
まだ年賀状が届く。これで170枚くらいになる。