言わなくてよかった

okatake2007-12-29

数日前、ぼくが書斎兼書庫として使っている半地下の、窓にはまっているガラスが割れた。娘が教えてくれた。
地下にはまっている二カ所の窓は、半地下のため、六尺ふんどしを横にしたような細長い窓で、断熱、防音のため、二枚ガラスが入っている。その中は真空、だそうだ。
その一枚が割れた。娘が発見し、懐中電灯をもって、娘の先導で見にいくと、放射状にこなみじんに割れている。最初は気味が悪かった。近くにある某高校の生徒がいたずらしたのかと疑った。それともうちに恨みのある者の犯行か。
「ここ、ここ。ほら」と娘が指差したとき、ちょうどバラが植えてあるその刺で怪我をしたらしく、部屋に戻ってから絆創膏をしていた。よくみつけたな。こんなわかりにくいところを。
そのあとトイレに入って、どうも、娘が怪しいと思い始めた。こんなわかりにくい場所のガラスが割れているのを発見するのが変だし、それをわざわざ親に言うのもどうか。自分でやったことを糊塗するため、そう言ったのではないか。トイレから出て、言うことを考える。つまり、割ったなら割ったでいい。それはわざとじゃないに決まっているから、何かの間違いで割った。そらならそうと、正直に言え。とにかく、あんな場所のガラスが割れる(地面すれすれ)というのは考えにくいことで、どうもおかしい。原因がわからないと気味が悪い。だから娘がやったらなら、それはそれでいいから、正直に言ってごらん。
そう言おうと、トイレから出て、地下へ降りると、二重のガラスは、内側の方が割れているのだった。つまり外部からの力ではない。近くに何かが倒れかかったとか、石があるとかではない。つまり、どうも、この朝、急激に冷え込み、その温度差で、二重ガラスの中の真空状態に、どこかから空気が入り込んで、圧力がかかり割れたようなのだ。それしか考えられない。あきらかに娘のせいではなかった。
妻と娘が夕食の支度をするリビングへ向かいながら、娘を問い詰めなくてよかった、とそんなことしなくて本当によかった、と思う。言われなき疑いをかけられること、子供にとって、どれだけ理不尽で無念なことか。娘の気持ちを傷つけるところだった。よかった。
そう思うと、こっちの心が弱くなり、つい「よく、あんなところ割れてるの見つけたなあ」と娘を褒める。
すると「何か、買ってくれる」と返す。
すぐ、それだ。
今日は西荻へ。音羽館と興居島屋へ。石丸くんが店番していて、「おや、仕事おさめですか」と言われる。なるほど、これが最後の古本屋巡りだから、ぼくにとっての仕事納めだ。
音羽館で、ウルトラ怪獣えほん『決戦ウルトラマン』500円。井伏鱒二『駅前旅館』新潮文庫は復刊版で、カバーは峰岸達。こうでなくちゃ。長部日出雄『邦画の昭和史』新潮新書、ほかを買う。
夜、惚けたように、お笑いを7時間ぐらい、テレビでぶっ通しで見る。