中川五郎と中川六平の夜 七は?

okatake2007-12-07

6日、ミクシィの「す」さんブログで、仙台「火星の庭」が上京していて、今夜コクテイルで飲む、と狼煙が上がる。で、行きましたよ。そしたら、久住の卓ちゃん、中川六平氏、それに中川五郎さんご一行も来てた。最初、中川の六平さんの方と、亡くなった多田道太郎の話を。六平さんによると、多田さんの娘さんが人権弁護士で、サルトルボーヴォワールが多田さんのいる香里団地を訪問したとき、一緒に写した写真があるはずだ、という。娘さんは謡子さんと言うが、組合と闘士と恋に落ち、若くして死んでいく、という。追悼集も出ているはず、とのこと。
あとで検索したら、多田謡子は多田道太郎の一人娘で、苦学して弁護士となり、人権擁護や反弾圧活動を支援する。三里塚闘争にも関わった。恋の相手は国労組合員の久下格で『謡子追想 人は愛と闘いに生きられるのか』(教育史料出版会)という、もうちょっとどうにかならんのかタイトルの本を書いている。謡子は1986年12月18日に死去。六平さんは自殺だった、と言っていたが、ぼくが検索した限り、そういう記述はなかった。編集工房ノアから多田謡子『私の敵が見えてきた』という本が出ている。やっぱり編集工房ノア、だな。
謡子の遺志を生かすため、多田基金を作り、毎年、多田賞が贈られている。
この多田謡子の存在を知ったことが、この晩の収穫。
あとで、魚雷くん、ぶらじるマスター竹内くんなどもコクテイルへ。そのへんから、六平さんヨッパライ、かつて同志社大学で同期、ラブ・ジュース裁判にも関わったという縁で、中川五郎さんに歌を歌ってくれ、と強要。また、五郎さんがいい人だから、突如、コクテイルがライブハウスと化す。「25年目のおっぱい」は名曲なり。知らなかったが、沢田としきさんがいて、帰り際に「弟が、京都で『ディラン・セカンド』というバーをしています」と挨拶をする。弟のバーのロゴ、看板デザインが沢田さんなのだ。
前野さん、澄ちゃんと中央線で帰る。
7日、12時に歯医者を予約。しかし1時間待たされる。歯、ってバカにできないのな。膿が顎の骨を溶かす等々、おどかされる。洲之内徹のエッセイで、「歯だよ」を思い出す。
4時「ぶらじる」で、筑摩の青木くんから、「女性古書店主列伝」のゲラ渡しがあるので、神保町へ。書窓展を覗く。「もう、あきつったら」と書きたかったが、この日はさっぱり、だった。かわほりから正木不如丘『診療室壁画』昭和五年、弘學館を裸本だが300円で。これ一冊。会場で石神井さんから声をかけられ、先日の岡林の日比谷野音ライブの話を。石神井さん、あの36年前の日比谷野音、狂い咲きコンサートに行っている、という。えええええ! 石神井さん、年、いくつ?
悠久堂均一から、堀江敏幸『雪沼とその周辺』、中村文則『銃』ともに新潮文庫を拾う。珍しく「サライ」を三省堂で買ったのは、忠臣蔵特集より、むしろ第2特集の「オーディオ再入門」が読みたかったからだ。うわさの4F、地方小出版コーナーも覗く。あれれ、ぼくの本がたくさん並んでいた。感謝。
帰宅したら、光文社宣伝部から『それゆけ カッパ先生!』(文庫版、非売品)と、カッパシリーズ判子6点が届いていた。うれしい。さっそく、晶文社原稿用紙で礼状を書く。
蜂飼耳さんの初小説集『紅水晶』(講談社)、橋爪節也編『大大阪イメージ 増殖するマンモス/モダン都市の幻像』創元社などが届いていた。