苦悩の表情が好き

昨日、昼、西荻こけし屋」4階で、中央公論Tくんと食事しながら打ち合わせ。フレンチのランチを食べていると、周囲のテーブルは、西荻マダム(といっても高齢)が占拠。いつも西荻で感じているとは違う空気が漂っている。帰り、「こけし屋」のロールケーキを家族のお土産に。暑いので保冷材をたくさん入れてもらう。
新刊を紙袋一つ、音羽館へ売りにいく。店頭でミニコミを一冊(「ちびっこギャング」に言及したコラムあり)と、店内で、思潮社『エミリー・ディキンスン詩集』を350円で買う。本棚と壁に絵が飾ってあり、サインから「鈴木翁二」だとわかる。広瀬夫人に訊ねると、さいきん、お客さんから買ったものだという。印刷でなく、原画だ。それが3点。鈴木翁二について、ぼくの思い出を話す。これはまだ、文章にしていないネタだ。
ディキンスンの詩。表紙にも引用されてあるが、たとえばこんなの。
「わたしは苦悩の表情が好きです 
 それが本当のものだと知っているから
 人々は痙攣をいつわらない
 また烈しい苦痛を装うこともない」
あちこちからバラバラとゲラがファクスされる。「インビテーション」に書いた、四方田犬彦『先生とわたし』書評は、少し手を入れる。当然ながら、このタイトルは、漱石の『こころ』を踏まえたものだろう。『こころ』の「上」は「先生と私」だった。


今日。午前、月に一度の検診。自転車で国立駅前へ。しかしなんという直射日光。熱波に切り込むようだ。
今日はクリニックが混んでいて、いつもより待たされる。順番が来るまで、蓮實重彦夏目漱石論』を再読。「横たわる漱石」の章は、4度目くらいだが、何度読んでもおもしろい。「横たわること、それは漱石作品にあっては、何らかの意味で言葉の発生と深くかかわりあった身振りである。仰臥の存在のかたわらで、人と人とがであい、言葉がかわされ、そして物語がかたちづくられる」というのだ。ええ、そうかな?って思うでしょう。ところが、著者はこれを事例を幾つも挙げ、圧倒的説得力で、あれよあれよと漱石作品に新しい光をあてる。これは快感である。さっそく『こころ』を点検。なるほど。
ぼくの番が来て、担当医の女医さん(目が真ん丸で、まだ学生っぽさを残した人)の前に座ると、「ブログ拝見しましたよ」と言われ、イスから転げ落ちそうになる。文章を書いているとは、かつてもらしたが、ぼくが何だかは御存じないはずで、それがここにたどりつくんだもんな。あ、これも読んでるかも。まいったな、どうも。
彷書月刊」原稿、ようやく送る。いつもは一気に書くのだが、高遠「本の家」編で4ページとあって、珍しく苦労する。
これから、京都行きまでに5つ原稿が残っている。ディキンスンは「苦悩の表情が好き」というけれど。