高遠本の家と書肆アクセスのこと

書肆アクセスの閉店については、各ブログに憤りをもって報じられています。ぼくは、先日の「外市」打上げで、畠中さんからそのことを告げられ、ショックで二の句が告げませんでした。しかし、もちろんいちばんショックなのは畠中さんで、ぼくなどがわかったようにどうこう言うのははばかれていました。
書肆アクセスの存在が消えることが、一書店が神保町から消えるというような問題でないことは、当ブログにアクセスされる方なら御承知でしょう。なにより、あそこには、全日本の小出版社から発信される本の見本市があり、客と畠中さん始め、書肆アクセスを守る店員さんたちとの寛いだ語らいがあった。じっさい、いつ行っても、客のだれかが話していた。ミニコミを大事に扱う店としても重要で、「すむーす」は、書肆アクセスから知られていったのだ。
巨木は伐られたあと、いかにその存在が大事だったかがわかる。「書肆アクセス」は、炎天下の街道に、ぽつんと立ち、旅人に木陰と安らぎを提供するような本屋だったと思う。そして、伐られたら、もう元には戻らない。
木は伐られる。それはもう仕方ない。それならせめて、いま何かできないか。そう考えていたら、河上くんがさすがのアイデアを出してくれました。ぼくも及ばずながら、やれることはさせてもらうつもり。

本日、家族で「喫茶と古本 高遠本の家」へ行ってきました。いやあ、寛ぎました。周りの風景が、日本の夏休み、という感じ。山、川、田畑。蝉の声。これは「彷書月刊」次号に、特別に4ページもらって報告します。この夏、家族旅行で、どうですか。宿泊施設も周りにありますよ。
山本善行は明日、取材で行くようです。