まにあうかもしれない

一日、仕事。ようやくクレインから夏に出る『佐藤泰志作品集』の折り込み栞の文章を書く。8枚ぐらいかな。これまで何度か書いてきていることを、自分を飽きさせないで書くということをした。ぼくの文章なんて、しかし、どうでもいいんだ。佐藤泰志が読めるってことが一番大事。
中央公論の連載もなんとか送付。大沢在昌ほかミステリ作家が「こち亀」の小説化に挑んだコラボ本を、石ノ森章太郎『マンガ 日本の歴史』にひっかけて書く。ぼくの日本史の知識は、これらマンガ版の日本の歴史ものに止まる。
あとは、ずっと小玉武『「洋酒天国」とその時代』を読む。さっき、ようやく読み終える。「洋酒天国」のことはもちろん、「その時代」ということで、昭和30年代を、さまざまな文学者たちの列伝で追うという手法。
ちょっと本棚を整理してたら、1993年ぴあ手帳が出てくる。この年、結婚して宿河原へ引っ越ししている。今月出る「彷書月刊」連載が、ちょうどこの時期のことを書いたもので、もっと早く見つかっていれば楽だったものを。いま見ると、スケジュール欄、空白だらけ。よくこんなで食ってたなあ、結婚できたなあ、と思う。このころ、自由時間とサンデー毎日と、校正の派遣のアルバイトをしていて、月の四分の一ぐらいしか働いていない。
8月9日は「あさま」で軽井沢へ。鮎川信夫について、牟礼慶子さん宅を訪れ取材。夫の谷田昌平さんがいて、目礼をする。
8月11日は西荻山口文憲さん取材。翌日はNHkで、その翌々日は自宅へうかがって山川静夫さん取材。
9月4日、川合俊一の取材で日テレへ。そのロビーで、真っ白な顔をして茫然としている逸見政孝を目撃している。翌日、テレビの記者会見で、ガンを発表。ああ、そうだったんだと気づいたことを思い出す。
そのほか、佐藤忠男さんに小津について聞き、波乃久里子さんに会ったり、ああ、山口美江にも取材してらあ、いたね、そういう人。
東京12時という企画で、夕方5時から朝の5時まで徹夜で、ロケバス使って、東京中駆け巡ったのは10月22日。
そのほか、ここに書けないいろんなことあったなあ、と思う。屈辱的な目にも何度もあってる。みんな、そうだろうけど、あちこち心や身体をぶつけながら、ここまで来たのだ。
もう人生の三分の二は明らかに済んで、どうもこの先、そんなに長生きはできそうにない。80なんて、持病を考えても、とうてい無理だろうと思う。でも、それはそんなに悪い気分じゃないよ。


 ぼくはぼくなりに自由にふるまってきたし 
 ぼくなりに生きてきたんだと思う
 だけどだけど理由もなく
 滅入った気分になるのはなぜだろう
 思ってることとやってることの
 違うことへの苛立ちだったのか
 だからぼくは自由さを取り戻そうと
 自分を軽蔑して自分を追い込んで
 
 なんだか自由になったように
 いきがっていたのかもしれないんだ
 まにあうかもしれない 今なら
 今の自分を捨てるのは今なんだ
 (「まにあうかもしれない」岡本おさみ吉田拓郎