人生は「朱夏」、心は深い井戸

そこが抜けたような晴天。ガラスの破片のような日光が降り注ぐ。
暦の上では季節は「秋」だが、人生は「朱夏」。深い井戸を覗き込むような日々が続いている。
一昨日買ったカル・ジェイダーとスタン・ゲッツの組んだCDを連日聞いている。ゲッツの軽やかながら、その底に憂愁をたたえたようなサックスの音色は、そんなふうに生きたいと感じさせるが、なかなかうまくいかない。
京都を知る本のブックガイド、という仕事がきて、京都の本を買ったり、リストを作ったり。通崎さんの『天使突抜一丁目』はもちろん手元に引き寄せる。
ぼくのなかでの京都本のベストは、どうしたって梶井基次郎の『檸檬』になるのだが。
中公文庫ものがたり20枚は難渋し、進みは牛歩のごとし。締めきりは過ぎてしまった。3分の2はなんとか書いたが、その書いた分に自信がない。もっともいつも自信がないまま書いているのだが。短い書評などは、ABCとネタを仕込んで、気合いでえいっ、と書いてしまう。いじくりまわさないほうがいいようだ。しかし20枚くらいになると、そうもいかない。
一日何度も水風呂に浸かり、5、6回Tシャツを着替える。この乾いたシャツを身につけるときだけが快感だ。