泣くのがいやならさあ歩け

涼しい、涼しい。エアコンをかけない日々が続いております。
約束どおり、二つ、原稿を片付ける。しかし、まったく元気はなし。
サンデー毎日できゅうきょ、阿刀田高さんのインタビューをすることに。あまりに急で、うっと息が詰まったが、断れない感じで引き受ける。
どうも空気が抜けたような状態が続き、困っている。昨日に引き続き、夕方、東野英治郎の「水戸黄門」を見てしまう。おまえはパンク時代の町田康か!
主題歌の「後から来たのに追いこされ、泣くのが嫌ならさあ歩け」という歌詞が妙に心に迫り、何度か口ずさんでしまう。末期的症状なり。
ある仕事のため、山本容朗の『作家の生態学』ほか、数冊をメモを取りながら読む。吉行淳之介に対する深い敬意があちこちで感じられる。
感動した話があったので紹介しておく。
半村良(本名・津野平太郎)は府立三中(現両国高校)卒。ごぞんじ名門校だが、半村は貧しい母子家庭で、大学へ進学できない。高校で終わったのは同級生で、半村とあと一人だけ。高三になると、受験のための特別授業になる。「卒業させるから、授業には出なくていい」と言われ、彼はひとり、グランドでサッカーのボールを蹴っていた。
高校卒業後、地をはうような「流転の暮らし」が始まる。紙問屋の店員、プラスティック成形工、バーテンダー(これは有名、「とと」「神田茶屋」など)、板前見習い、旅館の番頭もやった。広告代理店業時代、深夜ラジオの月の輪円鏡を発掘する、という話もある。ちなみに、半村良ペンネームは、イーデス(良)・ハンソン(半村)から来ていると言われるが、単なる偶然だそうだ。
半村はそんななかから小説を書きはじめる。
「泣くのがいやならさあ歩け」と前に押し出してくれるようなエピソードだ。