怒りのメガネ事件

昨日、メガネが壊れた。ぼくのメガネは、上辺部にフレームがなく、細いテグスのようなワイヤーで固定しているタイプのものだが、そのワイヤーが切れた。いまのは、吉祥寺の安く、すぐ作ってくれるメガネショップで、1万8000円くらいで作ったのかな。ぼくは右眼が近眼と乱視がひどく、レンズが特注になる。そのショップの在庫に用意がないのだ。それで薄型レンズを選ぶことになる。ちょっと高くつくってことだ。
老眼が進み、寝床で本を読むときや、パソコンに向っているときなど、最近でははずしていることも多い。それでも、やっぱりメガネがないとたちまち困る。で、昨日、家族でファミレスで食事をしたあと、某メガネ量販店へでかける。これ、家族で行ったのがよくなかった。ぼく一人だったら、途中で帰っているところだ。つまり、店員(女性)は慇懃だが、要するに、少しでも高くランクを上げて、高く売りつけることしか考えていない。それしか考えていないという感じだ。ほうっておいて、うんうん言うことを聞いていたら、7万円くらいのメガネになっているところだ。芸能人じゃないんだから、そんなに高いメガネはいらない。途中から、不愉快になり、相手が何か言うたび「いらない!」「いいの、これで!」とはねつける。そのたび、娘が横で何か言う。カーっと頭に血が上る。けっきょく5万円近い値段で作らされることになる。それはいいんだが、要するになにもかもが気に入らない。メガネまで気に入らない気分になってくる。自分でもちょっと滑稽な自爆だが。
帰りの車のなかで妻が、ぼくの自爆を見て「これじゃあ、私は先に死ねないわ。葬式も出してもらえないもの」という。笑えないが笑う。たしかに、葬儀社のやり方と似ている。「いえ、故人のことを考えると、最低このランクは」とかね。
どうなんだろう、メガネの相場って。もちろんピンキリだが、無印で見ていると、レンズつきで1万円ってのもある。あれでいいんだよな。無印はいいよ。ぼくはなんでも無印だ。無印のなかに住んで、無印だけで生きていってもいいくらいだ。あ、本以外はね。
怒りのメガネ事件のあと、家族で「ブ」へ。うん万円の攻防のあと、105円のシールが眼にしみる。朝日新聞社のラルティーグ展カタログ『ベルエポックの休日』1000円を買う。普通なら、「ブ」で1000円の本はちゅうちょするところだが、あのあとのこれだから安いや。自動車、凧、飛行機、船、跳躍、着飾った女と男、子ども、ラルティーグの世界は動くものへの快楽が満ちあふれている。
寝床でT・ハリス『羊たちの沈黙』読了。映画をまた見たくなる。