関西モダニズムとしての「細雪」

昨日、どうにか昼過に、某文学賞の下読み、選定を終え、選評を送る。午後、仮眠を取る。
夜、社説をまとめる仕事にとりかかったら、ファクス。隔月の小説誌の小説時評、締めきり過ぎているという。隔月なので、そのつど、事前に知らせてもらわないと失念してしまう。明日までに、といわれ、ここで堤防が決壊する。持ちこたえた神経が切れ、目の前が真っ暗になる。
なんとか、小説誌の仕事を終え、今朝は二カ月に一度の検査。これが、予約の時間から一時間以上待たされ、半日仕事に。『細雪』をノートを取りながら読む。「中央公論」で連載が始まった川本三郎さんの「細雪」論の影響。関西モダニズムとしての「細雪」としてノートを取る。いやあ、おもしろいわ。
病院の帰り、谷川書店に寄ると、おやじさんから「おたくはいったい、どういう人ですか」と問われる。たしかに、昼ひなかから、ぶらぶらとぼくのような年輩の男が立寄るのは不自然。自己紹介する。「ああ、あんたがあの」なんてことにはなるはずもなく、名刺を出して挨拶する。仁義を切ったってところかな。
文庫ほか5冊ほど買う。
いまからまたひと仕事。明日は、新風舎の古本講座セミナーの第一回がある。知ってる顔があると、おんなじ話ができないのがつらいところだ。
『気まぐれ』が図書館の選定図書に選ばれた。図書館に並ぶ率が高くなるという。ありがたいことだ。