けっきょくは「文学」が好き

今日はほぼ一日、家のなかで仕事。文藝年鑑のノンフィクション総括の原稿10枚を書くのに苦労する。適任者はほかにもいるだろうと、一度断りかけた仕事だった。これも勉強と引き受けたが、あとで原稿を受け取るのが、元毎日新聞社で、サンデー毎日書評担当だった人とわかる。電話をもらったのだ。プレッシャーがかかる。あれこれ資料を読んだり、沢木耕太郎『凍』を読んだり。
寝床でこのところずっと読み続けた、荒川洋治文芸時評という感想』六月社、を読了。時間がかかったが、時間をかけて読んだとも言える。まやかし、甘え、傲岸、そんな緩みを作家から見逃さず、ぴしっとむち打つ評言が快い。線を引きまくる。「最近は人が、よく泣く」「自分の感激なり感動なりが、どういうレベルのものなのか、それは知らずにともかく泣く」とか、ミリオンセラーを出した文学者がうっかりインタビューで「いろんな人たちに出会えて幸せ」なんて甘っちょろいことを言うと、「人気者にむらがる人は利害関係で来るのだから『一種類』である。『いろんな』ではない」など、拍手だ。タンカ、名言目白押し。じつに気分がいい。
通して読んで感じるのは、荒川さんが「文学」が大好きで、「文学」の力を信じていることだ。ぼくも信じている。だから「文学部」の名称を変える大学が増えていることに憂慮する。「日本が『経済』『政治』『情報』『国際』『福祉』だけになった社会とはどんなものなのか。勉強のために、見てみたい」と書く。ぼくも読書が好き、というより、けっきょく「文学」が好き、なのだ。斎藤美奈子に揶揄されそうだが、文学の話、本の話だけして、一生を終えれられたらなあ、と思っている。もうここまで来ると、ほかにあんまり望みもないのだ。荒川さんと、また本の話がしたくなった。
ただ、ポール・オースターを「2流以下の作家」という点は、荒川さんとちょっと違う。どこが嫌いなんだろう、荒川さんは。
週刊朝日」書評欄「読書日和」の原稿依頼。北海道新聞Wくんからは、赤瀬川原平『私の昭和の終わり史』河出書房新社の書評依頼があった。
夜、娘が副会長選におっこちたので、残念会をステーキ屋でやる。いちばんボリュームのあるのを頼んだのが娘で、店員はちゅうちょせず、ぼくの目の前にそれを置く。そりゃ、そう思うわな。