えらいこっちゃ、吉朝死んだ

昼、神保町で時事通信文化部のOさんから取材を受ける。古本のいま、の話。1時間以上喋ると声が出なくなる。何度か聞き直される場面があったのは、舌がもつれたのだと思う。三茶店頭で、高野喜久雄『闇を闇として』思潮社現代日本詩集18。真鍋博装幀。200円。「時は」はこんな詩。一部引く。
 時はやさしいけものです
 解けない謎は忘れるように
 いのちの意味も忘れるように
 やさしくそつと呑みこんでゆく
毎日新聞社へ行く途中、みわ書房古書センターの入り口セールで、堀内新泉『恐ろしい因果物語』を420円で買う。これは「おおっ」と久々に思った本だ。くわしく書かないが、めちゃくちゃおもしろい本。
サンデー毎日終えて、車内で平凡社ライブラリー伊達得夫『詩人たち ユリイカ抄』を読む。20年ぶりくらいではないか。いや、途中、再読しているか。いきなり原口統三の話。橋本一明、中村稔なんて名が出てきて、ポー「ユリイカ」訳者として、牧野信一の名が何度も出てくる。こういうことだよなあ。
「ささま」に詣で、またもや恥ずかしながら均一のみ8冊買う。谷孫六『岡辰大福帳』は、いつも古書展で見る本で、あまり見るため手が出ない。しかし105円なら買っておこう。函入りで月報もはさみこんである。他諸々。
帰宅して夕刊を広げ、「おおおおおっ!」と声を挙げる。妻と娘が「どうしたっ!」と驚く。吉朝が死んだ。なんということか。50歳。ガンだった。米朝門下で、もっとも期待を寄せられた俊英。ぼくは、大阪時代、太融寺の勉強会へ何度か足を運んだ。話をいじらない、正統的なやり方で、しかも客をおもしろがらせ納得させる芸風。端正な芸風は通も入門者にも愛された。上方で有望な落語家は、と聞かれて、米朝さんは、自分の弟子であるにもかかわらず「うちの吉朝」と答えていた。それほど買っていたのだ。あああ、吉朝が死んでしまった。同じサンデー毎日の執筆陣、山村さんよりメール。吉朝死す、について。
先日、文鳥舎で再会を果たした平田俊子さんから『二人乗り』(講談社)という小説集を贈られる。新風舎の松崎義行さんからは、『バスに乗ったら遠まわり』(マツザキヨシユキ名義、ミッドナイト・プレス)ほか3冊の詩集、本を贈られる。
昨夜、八甲田山なんか見て、すっぽかした原稿、どうしても今夜書かねばならぬが、いまはちょっと呆然。なにしろ吉朝が死んだのだから。たぶん京都に住む同じく吉朝ファンのぼくの弟も、同じようにいま、呆然としているはずだ。