永井龍男の長篇小説について

昨夜、というか今日、4時までベッドで本を読んでいた。ひさしぶりに開高健のエッセイのあれやこれやを読み返す。うまい、と思うと同時に、このいささか手慣れたレトリック、舞踏的な言葉の積み重ねが、広告コピーの鍛練によるもので、そのことが、開高の文学を狭めたのではないか、と思う。巧みな文章に囚われすぎて、その修辞に囲い込まれてしまった。開高の最後は主題も修辞もマンネリだった。短編集『ロマネ・コンティ・一九三五年』は、その最後に咲いた見事な花で、あそこでもう完成してしまっていた。あとはすべてつけたし。
遅い朝食を取り、また眠ってしまう。午後、妻と回転寿司で遅い昼飯。小平古本市場で、ちくま学芸文庫越澤明『東京都市計画物語』300いくらか(いつも、古市の料金大系を忘れてしまう)。その他、串田孫一『雑木林のモーツァルト』、小島信夫『うるわしき日々』読売新聞社など諸々を買う。
夜、CSで録画しながら、豊田四郎監督、原節子池部良主演『風ふたゝび』を見る。なんと原作が永井龍男。初めての新聞小説で、林芙美子急死の代役で引き受けた仕事なり。映画は大人のメロドラマ。仙台から上京してきた大学教授が上野駅で倒れ、かつての教え子の池部良が阿佐ヶ谷の自分の部屋へ引き取る。そこへ娘の原節子が駆けつけて、恋が芽生えといった、前半の調子のほうがよく、後半ややかったるい。原節子の同級生の女性が古本屋をやっている、というのがおもしろい。
永井龍男原作の表記は『風ふたたび』。朝日新聞社から出て、角川文庫にのち収録。永井龍男といえば短編、随筆の名手として知られ、わりあいそっちは古本屋でよく見る。むずかしいのは、新聞、雑誌に連載した長篇の大衆小説だ。『外燈』『四角な卵』『噴水』『幸吉八方ころがし』『沖田総司』『皿皿皿と皿』『石版東京図絵』『コチャバンバ行き』など。最後の二作は中公、講談社文芸各文庫、『この人吉田秀雄』『幸吉八方ころがし』は文春文庫に入っていたが、角川文庫に入っていた『煙よけむり』『噴水』『風ふたたび』が難しい。ぼくはかんじんの『風ふたたび』を持っていない。『四角な卵』などは新書になっていたか。永井のこれら長編小説の研究は進んでいないのではないか。『皿皿皿と皿』のあざやかな出だしなど忘れ難い。永井の短編は誰でもほめる。長篇が意外なアナではないか。