ぼくらは生まれ変わった木の葉のように栗を拾う

17日、朝からずっと仕事。中央公論の読書特集で、神保町のガイドを担当。十数枚の原稿を一気に書く。しかし、最初は原稿枚数を間違え、3分の2ぐらいしか書いていなかった。メール送稿のあと編集者の指摘で、あわてて書き足す。神保町のことはくりかえし書いているので、むしろ自分を飽きさせない書き方をするのがこつだ。
昼飯前に、外で遊ぶ娘を呼ぶために、家を出ると、隣りの空き地で隣家の幼稚園児と何かをしている。近寄ると、「お父さん、クリ。こんなに拾った」という。空き地には昨年から栗の苗木が植わっていたが、もう実をつけている。すでに相当拾われたあとらしく、茶色い毬が方々に転がっている。しかし、色の変わって、はぜかけた毬を落としたり、下に落ちていて実の入っているのを拾ったりすると、最終的に80個ほどの実が拾えた(地主から自由に拾っていいと言われていた)。それもけっこう大ぶりの実。隣家の幼稚園児は10個ほどしか拾えなかったらしく、あとで娘におすそわけで20個ほど届けさせる。
地上に落とした毬を靴で両側から踏むと、ころんとした実が顔を見せる。過って毬が腕や臑に当たるとたいそう痛い。思わぬ栗ひろいを至近の場所で楽しむことになった。
夕食後、家族で上々堂まで売り上げ金を受け取りに、ついでに大量補充もする。補充がおろそかになったためか、8月が古本屋全体に悪かったためか、1万6000円強を受け取るに止まった。娘が100%オレンジの絵本を欲しがるので1000円札を渡す。石丸君、100円負けてくれたみたい。さんきゅう。このあと、三鷹「ブ」、小金井「いとう」と巡り帰宅。
小金井「いとう」で、清水邦夫戯曲集『ぼくらが非情の大河をくだる時』新潮社、74年、250円を発見。いや表題作ではなく、まさか、なかにあれが入ってないかと見たら、入っていた。その「あれ」とは、「ぼくらは生まれ変わった木の葉のように」。「文藝春秋」特別版の読書特集でコラムを5本書いたなかに、俵万智が高校の演劇部時代に、この脚本を読んで感動し舞台にかけたという話を取り上げた。俵は詩を朗読する近眼の妹役をやった。そのセリフを、その後も、演劇部時代の仲間と会うたびに、暗誦していた、という。タイトルはギンズバーグの詩から取られている。この詩にしびれるのだ。
 泣かないのか?
 泣かないのか一九六○年のために
 ぼくらは生まれ変わった木の葉のように
 無力なギリシャへ出かけよう
清水邦夫、早稲田演劇科、蜷川幸雄、現代人劇場、新宿アートシアター、蟹江敬三石橋蓮司緑魔子
70年代がこの一冊にパッケージされている感じだ。
 泣かないのか?
 泣かないのか一九七○年代のために
 ぼくらは生まれ変わった木の葉のように
 無力な新宿へ出かけよう