マンガにラブレターを書いた人間

永島慎二さんが亡くなった。ここんところ、テレビで、長嶋、長嶋と騒いでいた。巨人を嫌いな人はいても、日本人で長嶋さんを嫌いな人はいないでしょう、などという。冗談じゃない。ぼくは嫌いでも好きでもない。勝手に決めないでくれ、気持ち悪いと思っていた。そのたび、同じ音の、もう一人のナガシマさんのことを考えていた。ぼくは、小学校高学年のとき「COM」で永島慎二を知る。「フーテン」読みたさに、千林商店街「川端書店」まで、「COM」を買いにいき、揃えた。これが中学のとき。新宿の夜明けのシーン、一ページ丸ごと費やして描かれて、ぼくの「東京」はこの一枚の絵に尽きる。30過ぎて、上京する思いのなかに、少なからず、この一枚の絵の影響がある。
永島さんには、1997年にお宅にお邪魔してインタビューしている。それは「ARE」8号に掲載。編集人の林哲夫さんが永嶋さんの知り合いで、実現したのだ。目の前に、あの永島さんがいる。いろんな仕事で
数百人に及ぶ人にインタビューしたが、十本の指に入る、感激の対面だった。林さんにあらためて、お礼を言いたい気持ちだ。インタビューで永島さんはこう言っている。
 「ぼくはマンガに惚れて、マンガにラブレターを書いた人間ですよ。それが『漫画家残酷物語』になったんです」
 このインタビューページの、図版の構成が絶妙だ。多くの作品から、これぞ、というコマを抜き出し、並べている。林さんの仕事だ。永島さんへのオマージュになっているのだ。
 このほか、今日はなにも言うことがない。月並みなことばだが、冥福をお祈りする。そして『フーテン』を読もう。