ほんとうに明るい、空っぽの気持ちになって

今日は一日家にいた。午前に外出した妻が夕方に帰ってきて、「へえ、ずっと家にいたの。珍しいねえ」と言う。そうなんだよなあ。いつもはむずむずしてくるんだが、今日はなんだか気がのらず、本を読んだり、ゲラをチェックしたり、ネコと遊んだり、だった。いい天気だったがなあ。夕方、カッコウが啼いていた。それに合わせて、目の前の高校の高校生が口笛で、カッコウのまねをしている。カッコウカッコウ……
こないだ買った芸術新潮、89年7月号の特集が「写真家が選んだ昭和の写真ベスト10」で、最初は特集部分を読んでいたのだが、最後のほうのページに岡谷公二が「南に行った男 土方久功」を書いている。小特集といっていい分量。これがおもしろい。土方は父方の伯父が明治の元勲、土方久元伯爵で、貴顕の出だが、昭和4年から17年まで、南洋の島パラオに移り住む。そこで絵を書き、彫刻をした。「日本のゴーギャン」などと呼ばれた男だ。また南方の民俗学者でもあり、三一から全8巻の著作集も刊行されている。
昭和16年、まだ無名だった中島敦南洋庁の役人としてパラオを訪れ、二人は意気投合し、友情を育む。敦の『南島譚』に登場する土俗学者H氏とは、この土方。また同書に収められた短篇には、土方から聞いた話がもとになったものがある。そこで、ちくま文庫中島敦全集の「南島譚」が入った巻を読むと、カバーの絵が土方だった。
そんなこんなで、一日、土方のことを考えたいた。南洋の楽園で、現地民にまじって、彼らに慕われた土方。ほとんど原始のくらし。朝は鳥の声で起きる。以下、岡谷の文章。
 「それから前の小さな浜にゆき、『浪打ちぎわの適宜な岩の上に、無心に蹲って、朝の海と朝の雲』を眺め、『広々とした空気を腹の中まで吸いこんで』用を足す。それから、飼っている小犬と浜で戯れたりして、『ほんとうに明るい、空っぽの気持ちになって』戻ってくる」
 こんなまねはとてもできないが、そういう暮らしがこの地上にある、と考えるだけで、わだかまった心がいっときでも晴れ晴れする。
岡谷は1990年に、河出から『南海漂泊 土方久功伝』を出している。ところがとうに品切れで、そんなに昔の本じゃないのに、日本の古本屋ほか、イージーシークなどヒットしない。買えないってことだ。こうなると、また燃えますねえ。