泥鰌庵閑話

昨夜遅く、一本原稿を書き、よく考えたら明日、つまり今日、5本の原稿を書かねばならぬことが判明。どうしてこんなことになったか。そう、みんなわたしが悪いのよ。とにかく臨戦に備え、寝ちまうことにした。どうして寝ることができるのか、不思議でしょう。ぼくも不思議だ。
そいでもって、今日。午前中に2本、原稿を書く。教育誌コラムと週刊ダイヤモンドの文庫コラムだ。昼前になり、飯を食べついでに自転車にまたがり……と、これがよくない。たちまちフワフワと玉川上水の緑陰を走り、めざすは一ツ橋「ブ」ってことだ。
単行本と文庫のエッセイ棚には見るべきものなし。文庫の小説105円の棚、まず「イ」の頭文字から探すのがならいとなっている。五木寛之さん、たのんます。しかし、やっぱり振られ、ひょいと近くを見ると、色川武大がめずらしく数冊固まっている。所持、未所持を問わず、とりあえず3冊だけ確保だ。『生家へ』中公文庫は小山田二郎のカバー。もうすぐステーションギャラリーで展覧会がある。いやもう始まってるか。ほか福武文庫『虫喰仙次』、『花のさかりは地下道で』文春文庫。
恋が窪「いとう」へも寄ってみるが、こちらはウンともスンとも反応がない。で、昼飯。近所のファミレスへ。ランチにドリンクバーを注文して、4人席にゆったり座って、色川武大を読み始めたら、隣のテーブルに5人くらい、おばさまたちが、もうとっくに食事は終り、ドリンクバーを飲み干す勢いでお代わりをし、大声で喋り、大声で笑う。爆発したように笑い、なかんづく、そのうちの独りがいちいちパアーン!と手を打つ、膝を打つ。そして破裂したようにギャッハーン、プウワーイと笑うのさ。喋ってる内容は血液型とテレビと御近所のお噂。もうこれ以上、低級な話はできませんという風情。「こら、おばはん! じゃっかましいんじゃ。まとめて空揚げにして犬に食わすぞ」と、ここまで声に出かかったが我慢。店員に申し出て席を替えてもらう。
今日はあちこちから電話あり。こういうの、固まるのね。ありがたいお仕事の電話もあり、少し光が見えてきた。筑摩の青木さんからは、某社が本をぼくに送りたいが住所を教えてくれと言ってきた、教えていいかと確認の電話。なんでも個人情報保護法案以後、住所を教えるのも許可がいるんだとか。ぼくに関しては、じゃんじゃん教えてもらってかまいません、という。なにやらめんどうな世の中になってきた。
午後から、TBSの放送原稿を送り、一本、取材用の調べものをしたところで電池切れ。いかんなあ。あとせめて一本、なんとかせにゃならん。なのに、ですよ。滝田ゆう泥鰌庵閑話(上下)』ちくま文庫を読み出したら、おもしろくておもしろくて、もうやめよう、ああ、もういかん、と思いながら、ぐずぐず読み続ける。以前読んだのは刊行された1995年。小平に住んでいたころだ。いま読むと、これは滝田ゆう私小説マンガだから、滝田ゆうの住んでいた谷保の団地、谷保神社、南武線国立駅西国分寺駅、国立ガード下の汚いうなぎ屋など、国立駅を利用するようになってから親しくなった風景がふんだんに出てくる。おもしろいに決まっているのだ。しかし毎晩のように、吹きすさぶように酔いつぶれる日常、その嫌悪、しかし溺れていく日々がすばらしい線描で記録されている。まさしく名作なり。