ウグイスの谷渡り

雲ひとつない上天気。湿度も低く、からっとしている。高原へいらっしゃい、という感じ。きゅうきょ、妻と西武線沿いに散歩することに。八坂ダイエーまで車で、ここで駐車し、西武西武園線に沿って多摩湖まで続く遊歩道をてくてく歩く。途中、富士山がきれいに見えた。武蔵大和からは狭山公園という、小高い丘に入る。武蔵野の林がそのまま残る。鳥がしきりに鳴き交う。鳥と言えば鳩と烏しか知らないぼくが、妻に聞く。「あれは?」「ウグイスよ、ウグイスの谷渡りよ」。西武遊園地駅はがらんとした人気のない駅。折り返しの停車した電車に乗り込む。鞄に入れていた小沼丹の『小さな手袋』の、しおりを挟んであったページを開けて驚く。タイトルは「鶯」。小鳥を飼っている友人の家に訪ねた著者。友人の鳥自慢。鳴くのはウグイス。「聴いていると三通りの啼き方をしてその間に、けきょ・けきょ・けきょと谷渡りをする」とある。さっき、聴いたばかりのウグイスの声だ。一時間ほどの散歩だが、気持ちよかった。また来よう。
やらねばならぬこと山積みなのに、逃げるように国立へ。いったいどうなってるんだろう。こんなことしていていいのか。しかし谷川書店だ。均一には50円なんて本がある。安岡章太郎『僕の昭和史3』は田村義也装幀。その田村義也と安岡の対談が、挟みこみ栞でついている。これが読みたい。平岡正明マリリン・モンロープロパガンダだ』は、少し焼けているが200円。桃源社江戸川乱歩全集『ぺてん師と空気男・影男』は、小ぶりな本ながら、本体は布表紙、デザインは真鍋博、これがいい。130円と谷川値段。
文庫も買う。武田百合子『遊覧日記』、鶴見良行『アジアの歩きかた』ともにちくま文庫で100円。ちょっとした満足感。
「ぺてん師と空気男」は、昭和34年、同じ桃源社の書下ろし推理小説全集の一冊として刊行される。昭和36年から、乱歩自らが最終校訂し刊行が始まったのが、今日買った江戸川乱歩全集だ。全18巻。大きさといい、造本設計といい、カバーデザインといい、まことに好ましい。見れば、みんな欲しくなると思うよ。でもネット検索ではあんましひっかかってこないんだよね。いくらくらいついてんだろう。
帰り際、谷川さんがほかのお客さんと喋っているのを小耳にはさむ。「昨日はよく売れました。ユリイカ版の吉岡実詩集なんて、○○先生がすぐ買って行かれた。今日は寄ってみてよかったよって」。なぬ! ユリイカ版の吉岡実詩集だと。いったいいくらで買っていったんだろうとしばらく気になる。玉英堂18000円、中野書店52500円。ふうむ。
谷川の勢いを背負って、立川「いとう」では、源氏鶏太『まだ若い(上下)』文春文庫をようやく見つける。佐野本だ。そのほかごそごそと。
丸谷才一『ゴシップ的日本語論』を読んでいると、戦後の『文藝春秋』の名声を一躍高めた名企画「天皇陛下大いに笑ふ」の裏話が。辰野隆徳川夢声サトウ・ハチローが宮中に参内し、愉快な話をしたところ、天皇陛下がおおいに喜ばれた。これを伝える小さな記事に注目した文藝春秋編集者が、企画会議にかける。編集長池島信平は最初、これを捨てる気でいた。しかし、編集部員の一人が、このプランを不見識だと青筋たてて怒った。池島はこの男が嫌いだった。「あのインテリぶった厭な奴が、あれだけ反対するんだから、さうすると、インテリではない普通の人が喜ぶんぢやないかと思ひ直した」というのだ。厭な奴が反対したプランだから通す、というのがおもしろい。