上々堂へ補充

昨夜、向井くんからメールで、またブログ作法を教えてもらう。なるほど、ね。サルから少しだけ進化。
「ちくま」四月号の「九十歳、青山光二が語る思い出の作家たち」(最終回)をおもしろく読んだので紹介しておく。田宮虎彦自殺の話から始まる。青山は昭和五年、京都三高に入学、九年に東大に進学するが、その両方で田宮といっしょになり友人づきあいをする。田宮と赤門近くの古書店「島崎書院」へ行く。青山が文芸評論の本を店番をしている男に持っていくと、男は「君たち、こんな本を読んで分かるのか」という。青山は怒って、本を買わずに飛び出すが、田宮の口から、その男が島木健作だと聞かされる。島木の兄が同店の店主だった。
もう一カ所引く。田宮がガンで亡くした妻との間に結婚前に交わした往復書簡を『愛のかかたみ』という本にまとめ、これがベストセラーになる。平野謙がこれに全否定といっていい激烈な批判を加えたのは有名な話。「『足摺岬』にいたっては三流」と言い放つ。平野は、細君が死ねば、亭主は一種の解放感にかられる、と書く。ここに、田宮夫婦の仲の良さを知る青山が反論を加える。平野の妻に対する態度はひどかったというのだ。青山が平野を訪ねると、応接間にお茶を持ってきた平野夫人に対し、「あっち行け」と手を振って追い払った。知り合いの編集者によれば「しっしっ」と言うこともあった。「まるで犬や猫を追い払うようなしぐさ」だった。平野謙、好きな文芸評論家だが、ひどいな。
午前中と午後、地震あり。千葉では震度5弱か。日本列島がぶるぶる震えております。小松左京日本沈没』は、いまこそ復活させよ、とわしはずっと言っております。
午後、冷たい雨のなかを妻の運転で上々堂へ補充に行く。新潮Yondaのトートバックと紙袋ひとつ分。店番はタマちゃん。興居島屋でもバイトをしている気のいい女の子。「興居島屋」の客が、こっちにも来て、びっくりしない? と聞くと、「あります。分身の術?だとか言って」という。ふつう、あんまりないもんね。A店で店番している人が、店名の違うB店でもやってるって。まあ、じつはバイトの渡り鳥をしている人は何人かいるのだが。
帰り、ひさしぶりに国分寺「いとう」へ。小平在住のころはよく行った。国分寺へ引越してからは来なくなった。地名だけ書いていると変な話だが。ここは文庫の量がすごかったが、今回行ったら、少し棚が減っていた。お買得コーナーという棚があり、難ありの本が200円、300円で出てる。ここで少しごそごそ買う。坪内祐三編集「明治の文学」の漱石の巻が300円。「三四郎」と「永日小品」を収録。ちょうど、いま「三四郎」を、鉄道の記述を中心にメモを取りながら再読していて、この「明治の文学」は注がくわしく、林丈二編集の明治の図版が役にたつ。いくつか、疑問が氷解。いいところで出会ったものだ。平出隆『猫の客』河出書房新社は200円。カバーに擦れがあるのと、何カ所か線が引いてある。鉛筆だから問題なし。池田満寿夫横尾忠則対談集『反美的生活のすすめ』河出書房新社も200円。あと、児童書コーナーで『タンタン 燃える水の国』を400円で買う。タンタンはひさしぶりの御対面。
おっと、そうだ。月の輪書林が目録十四を出しました。今回はわりに早く出ました。「田村義也の本」特集。田村義也の書き込み本、というのがおもしろい。田村は鉛筆で書き込みを。ただし感想は稀れで、日付けや線引きなど。ふつう、前の所有者の線引きは不快なだけだが、田村さんとなるとね。近代日本文学辞典には、目次の作家名に○印が。これも、誰をチェックしているか知りたくなる。このあたり月の輪マジックですね。また、古本屋で買った本は、値段が消してなかったらしく、月の輪はそれをそのまま消したりしないで生かしている。なるほどね。興味あるもの、いくらで買ったか。「神保町青空古本市にて 二千円 田村義也」なんて、いいねえ。
一日、脇明子『読む力は生きる力』(岩波書店)を読む。子供に読書の楽しさを、大人が伝えるための手引き書。やや教条的でユーモアがないのは残念だが、多くの学生と大学で接した人から見た、いまの若者の読書観、などには教わるところがあった。字は読めることと、本を読むことは別。本を読む、と言わず、本を見るという学生が増えている。読書体験を持たない人は、わからないということに神経質になる。子供は多少わからないところがあっても平気で読みすすめる、などなど。