「ギンレイ」では見のがしたドキュメンタリー「人生フルーツ」を、日本映画専門チャンネルで見る。東海テレビ制作。津端修一は撮影当時90歳、同・英子87歳。愛知県春日井市高蔵寺(地図で確認してようやく分かる場所)の戦後開発されたニュータウンに広い地所を買い、木を植え、畑を作り、いま(撮影当時)は二人っきりで暮らしている。その暮らしぶり、日々が映像で綴られる。津端は戦中に戦闘機の設計に携わり、戦後、マッカーサーが厚木に降り立った時、迎えた一人。レーモンド設計事務所を出発に、日本住宅公団で、多くの、いわゆる「団地」建設に尽力した。その一つが高蔵寺であった。津端は初め、画一的効率的な団地配置を嫌い、山を持つ地形を生かした、風が通る、雑木林を残す団地をデザインしたが、経済効率が優先され、津端案は却下される。そこで、われ一人でも、とこの地に家を構えたのだった。広い畑に、多種の果樹と野菜を育て、二人で手入れし、守っている。鳥が水を飲みにくる水鉢が据えられ、そこには「鳥の水飲み場」みたいな、プレートが掲げられている。もちつきの日は、旗を揚げる。生活に「演出」がある。二人も髪は延び放題で、身なりを構わぬようだが、かっこいい。若い時より歳経た現在の方がかっこいいのだ。中心地の名古屋へは、バスと電車を乗り継ぎ、一時間以上かかる。英子は、修一の年金32万円(すごい!)が入ると、野菜や魚を買いに名古屋まで行く。食べることを生活の中心に置き、大切にしていることがわかる。しかし、英子は大変だ。映画は、いきなり修一の死を伝える。草むしりをした後、昼寝して、そのまま起きて来なかった。なんという神の恩寵か。いいものを見た。津端はまめに、ダーマトを使った絵入りの手紙、ハガキを毎日のように書いた。英子が買い物をする魚屋にも、お礼のハガキが届いた。誰かに手紙を書きたくなった。日本映画専門チャンネルに登録している方は、まだ今月中に再放送がありますよ。