雨の朝である。一度早朝に起きて、二度寝。ひさしぶりに「キャスト・アウェイ」を見る。無人島もので、ほとんど出演者は主演のトム・ハンクス一人、という撮るのが難しい映画だが、飽きさせない。いろいろ忘れていたこともあり、あの80メートルのロープ(筏作りに必要)へはぜったい行かない、と「ウィルソン」と名付けたボールに語るシーンでも、一瞬、なんの事かわからない。そうだったか、と気づく。絶海の孤島の沖の青い海と白波と、空が美しい。帰還したトム・ハンクスは「ライザップ」でそうしたように、みごとに痩せている。そのために痩せたのだ。
昨夜は、沖縄からながいようさんを迎え、第15回「中川フォーク」を無事終える。喫茶「ディラン」のこと、西岡恭藏、大塚まさじと組んだ「ザ・ディラン」のこと、いま住む沖縄の現状など、いろいろ話を聞かせてもらった。喫茶「ディラン」は中川五郎さんも常連で、記憶は鮮明だ。「ディラン」にトイレがなく、二階のゲイバーの寮として使われているアパートの共同トイレを使っていた。よくそこでゲイの人たちと会ったし、「ディラン」へも来ていたという。みんな気のいい、楽しい人ばかりだった。カウンターにピンクの電話があり、電話をもたないフォークの若者たちは、電話連絡はこれに頼った。「春一番」を始める風太さんなど、「ほとんど『ディラン』を事務所がわりにしていた」とながいさんの証言あり。すぐ裏手に「組」の事務所もあり、フォーク、ゲイ、やくざと混成のエリアが、難波元町にあった。「ディラン」を経営するため、大塚まさじさんは喫茶教室に通い、一通りのことを学んだ。70年代初めか、五郎さんが開いているギター教室の生徒でいちばん熱心だったのが大塚さんだったという。そこで二人は知り合った。友部正人さんは名古屋から「大阪へやってきた」若者で、「ディラン」に出入りしていたが、無口であまり喋らなかった。ながいさんの印象は、「最初、なんだか、ちょっと怖かった」。この喫茶「ディラン」だけで一冊の本が作れそうだ。
打上げに参加した方々は、同年輩の人が多く、それぞれ人生の節目を迎え、自己紹介のときの話がみんなじつによかった。来年、会社を辞め、自宅でロック喫茶を開く、という常連さんの発言があり「うぉーっ!」と盛りあがる。ずっと常連で、中川フォークを支えてくれた「よう子」さん(フォーク番長)も、久米川で「すなふきん」というライブバーを開いた。「楽しくやらなくちゃなあ、人生もったいない」が、打上げのテーマであった。