okatake2017-08-26

山本善行撰『埴原一亟 古本小説集』夏葉社を読む。面白かった。作品を読むと(それが現実に基づくとして)、埴原は、戦前と戦後に店売りの古本屋を開店しており(前者は奥さんが経営)、建て場(資源ゴミ回収場)でのセ取りも体験している。『古本屋小説集』となっていないのは、そのあたりの事情を指すと思われる。何度か使われる「赤三」が著者の分身。これは私小説作家が使う常套の手である。「ある引揚者の生活」では、奥さんのミクニが強気で生活能力のない夫・赤三をリードしていく。戦前に古本屋を構えたこともあるミクニは、行動力があり、露店の古本屋を始めるが、客から本を「露店で買い取った」ことを見とがめられ、刑事にしょっぴかれる。しかし、ミクニは最初これを拒否し、署へ行っても頑として罪を認めない。このミクニがすごい。赤三が引取りに行くが、鑑札を取られ、恭順の姿勢を見せないミクニは留置場へ。すごむ刑事に赤三は「ははははは」と「虚勢を張る故意の笑いをあげたのだが、いつしか本当の笑いになって、/『ははははは』/笑い続けた」。この二回の「ははははは」がいい。そのあと、「公務を侮辱するか」という刑事の声を後に「うす暗い階段を二段ずつ飛び降りて表に」出るのもいい。描写がじつに正確である。
戦中の「塵埃」は、「ゴタ」と呼ばれる建て場の様子を細かく描く。「半島出身者」がいたり、生きあぶれた者たちが巣食う「どん底」であるが、その生態を写す筆は生き生きとしている。「被圧迫的地位」を描きながら、プロレタリア文学にはならない。体一つで食いつなぐ者たちは、不平不満を言いながら、しかし自由である。ここでも主人公は、力なき生気なき「さしずめインテリ」(寅さん)だ。果敢に突進しない、あくまで傍観者は、近代文学からの主人公の伝統でもある。
もっともいいのは「翌檜(あすなろう)」だ。ここでも池袋以西に棲み着く、建て場、セ取り屋、古本屋などの生態を描く。主人公「さしずめインテリ」赤三は、建て場回りのセ取り師で、ときに「芥川のハガキ」を掘り出したりする。会社を辞め、作家として立つが食えない事情など、著者の人生も垣間見られる。本を安く買い、高く売る「かけひき」など、珍しく「経済」がここには書かれている。絵を描く食堂の女の子という点景も光っている。
「生活の出発」は、戦後、池袋で古本屋を開くが、資金繰りに困り果て、母親の家を無断で担保にし高利貸しに手を出したり、店に来る変な男にだまされてしまう(子爵家の蔵書整理)。ここでも「経済」がある。それでも「明日はいい買物があって儲るぞと言う夢」を見る店主は能天気そのものだが、「経済」一本では、古本屋という職業は続けられない。このあたりに、善行堂はビビビと来たのではないか。
しかし、芥川賞に何度か候補になりながら、そのつど落選、というのもわかる。何かが弱く、何かが足りないのだ。あと一歩「押し」が足りない。しかし、「押し」が足りない小説というのもいいものだ。「押し」てしまえば、消える「味」というのもあると、「忘れられた作家」埴原を読んでいてそう思った。
すいません、疲れました。ここで本日は閉店。27日正午より、吉祥寺「夏葉社」事務所に、善行堂が上京して駐屯しますので、興味ある方は、直接いろいろ話しかけて下さい。