恥をさらすが、わたくし、歴史に疎く、ときにとんでもない無知をさらけ出すことになる。その補填のため、「ブ」で買った「漫画版日本の歴史 4」(集英社文庫)を「ド」でアイスカフェラテを飲みながら、読んでいたと思って下さい。「鎌倉幕府南北朝の争乱」を扱った巻であります。鎌倉幕府(北条氏)滅亡のあたり、新田義貞が挙兵し、上野(こうずけ)から鎌倉へ攻め上がる。そのルートが地図で示してあるのだが、武蔵の国に入って「小手指原」「久米川」「分倍河原」とある。そして、最後が鎌倉。なんだ、私がよく自転車でうろつく多摩の地名ではないか。そこで、あっと思ったのが、小平市中央公民館で古本バザーが開かれるとき、自転車で青梅街道の一本南を東西に走る道を行くのだが、途中、畑のまんなかを南北に区切る細い道があって、そこに「鎌倉街道」とある。こんな情けなく心細い道が、果して鎌倉まで通じているのか、と不審に思っていたが、どうやらそうらしい。多摩・武蔵の散歩地図を見ると、東村山駅東、府中街道との間に、「鎌倉古街道」とある。もっと目を北へ移すとですね。ちゃんと埼玉県との県境あたりに「久米川古戦場」とある。新田義貞鎌倉幕府と合戦した場所と説明が。あれあれ、そうでしたか。「なごやか文庫」の近くに「ふるさと歴史館」があって、前に入ったが、大してちゃんと展示物を見なかった。こんど、ちゃんと見ることにしよう。歴史好きの人から、「おまえ、今頃、いったいナニを言ってんだよ」という話でありました。頓首