夏恒例の「サン毎」3ページを一人で書く「夏の読書」。20冊まではいかないが、それ近く、ほぼ一日かけて書く。紹介文自体はさらさらと書けるのだが、いつものように、一冊何字という縛りがなく、五つのテーマで、テーマ別に何字と決められているから、その字数(行数)調整にひどくてこずる。珍しく夜も仕事をして、終わったら、頭の中が真っ白になった。歳だなあ。
翌日というのは昨日だが、曇りで涼しくて、この日しかないと、三鷹上々堂へ補充と精算。石丸くんがいて、あれこれ話す。先日「ペリカン時代」で挨拶したお笑い芸人の方、ぼくはよく知らないまま、ちょっと偉そうなことを言ったが、売れっ子芸人だった(と、石丸くんが教えてくれた。面識あり)。「こめつぶしゃきょう」の、と紹介されたとき「米粒写経」という文字が浮かばなかった。名を居島一平さん。相方はサンキュータツオさん、居島さんは「代読芸人」といって……と、石丸くんの説明を聞いてようやく、星と星が結ばれて星座ができていく。あ、そうなのか。失礼しました。「ごごしま屋時代、よく店に来てて、たぶんおかざきさんともすれ違ってますよ」と言う。先ごろ物故した舞踏家で編集者の室野井洋子さんの話もする。札幌へ移住し、「ザリガニ屋」という古本屋をしていた、というのも石丸くんから。なんでも知ってる男なり。
夕方新宿三丁目へ。大阪王将で餃子2皿と生ビール(ちょうど1000円)を腹に仕込み、「末広亭」へ。還暦会のとき、散歩堂さんなど有志の方から、チケットをプレゼントされていたが、7月いっぱいで期限が切れる。あわてて出かけた。七月下席は「芸術協会」で、そのためか(と言ったら失礼だが)、客席は1〜2割の入り。代演が多く、仲入り前の桂文治師がお休みで圓馬師に代ったため、とうとうこの夜、知っている噺家はゼロということになったが、初めて聞く人が次々登場、そのことが面白かった。圓馬「たいこ腹」、可龍「皿屋敷」、トリのとん馬(ば)「替わり目」が印象に残った。とん馬師は、三味線を携え高座へ。途中、酔っ払った亭主が、新内流しを呼び込んで、という趣向で、三味線を引き込み、どどいつを歌う。珍しい高座で沸き立った。もの売り声の宮田章司も、久しぶりに聞いたが、なんともよござんした。遊之介は小遊三の弟子、ということであったが、ポーカーフェイスで、口をあまり開かず、くしゃくしゃと喋る独特の語り口で「浮世床」。不思議な人がいるものだ、と感心して聞く。やっぱり寄席はいい、と来た時、毎回思いながら、足が向かない。今度は、もう少し日をおかず来よう。
夜の新宿3丁目交差点信号待ち、角の要塞のようにそびえる伊勢丹が美しい、と思う。