人生散歩術

okatake2017-07-18

午後、芸術新聞社のTくんと待ち合わせ、『人生散歩術』(発行日は7月25日)を昼飯食いがてら受け取る。カバーのイラスト井伏鱒二は、ぼくが連載時に描いたものを拡大し、使われている。たいてい、イラストは少し大きめに描いて縮小するときれいに印刷されるが、これは逆で、自分で言うのもなんだか、いい味が出ている。そうか、こういうやり方があるのか。各章扉絵も同様。拡大する、という手を知る。店頭に並ぶのは一週間後ぐらいか。井伏鱒二木山捷平吉田健一田村隆一古今亭志ん生高田渡佐野洋子の人生を、ほれぼれしながら身渡すエッセイ。「こんなガンバラナイ生き方もある」が副題。
明日夜7時からの、東京堂ホールでの魚雷くんとのトークになんとか間に合った。Tくんと話しているうち、空が曇り、驟雨と雷。店を出て一人、ドトールに逃げ込む。すぐには止むと思ったが、一時間以上、ドトールにとじこめられた。時折、空に、いなびかり。このところ、ある目的で、すごいスピードで再々々々々読ぐらいで読み飛ばしているディック・フランシス「競馬」シリーズ、『直線』をずっと読んでいた。
明日のトークの準備。『貧乏は幸せの始まり』の魚雷くんとの対談も読み返す。たしかに、魚雷くんの新刊『日常学事始』の発想が、対談に出てくる。『人生散歩術』の10ページ目、いきなり誤植を見つける。「井伏鱒二は人生におえる諸事万端の」は「人生における」の間違い。どうして気づかなかったんだろう。何度もチェックしたのに。こういうことが、本が出来てくると、起こるんです。まったくフシギだ。読者もまた、よく誤植や誤りがよく見えるらしく、優しい人は優しいいい方で教えてくれるが(ただただ間違いを指摘して、著者をバカ扱いして、鬼の首を取ったような書き方をする人もいる)、言われれば、なんで間違ったんだろう、ということばかり。けっして、バカではないのだ。それなりに一生懸命やっているのだ。全頁、全行、全語句に神経を集中するわけにはいかないと、予防線を張っておこう。