なるべく見逃さないようにしている「ドキュメント72時間」、昨夜は小倉のセルフ100円で生ビールが注げる飲み屋「白頭山」から。小倉は、昨年6月だったか、『ここが私の東京』発刊にあわせ、装幀挿画担当の牧野伊三夫さんと組んだイベント各種のなかで、牧野さんの地元北九州小倉へ。小倉飲屋街をさすらって打ち上げ打ち上げで3軒は回ったか。小倉は飲ん兵衛にはいい街だ。さんざん飲み食いした後、「もつ鍋」へ行きましょうと言われ「いや、さすがにそれはもう無理」と思ったが、牧野さんが「いや、だいじょうぶです」と言うので、おそるおそる箸をつけたら、バカウマで、お代わりとなった。すでに懐かしいような記憶だ。牧野さん、しばらく会ってないが、無事引越しされただろうか。
サン毎用に、伊岡瞬『悪寒』をやや早読みで一気読了。いやあ、怖い小説でした。夏に寒気を感じたい人におすすめ。
机の下になんでもぶちこんで、足が入らず、椅子に左足をあぐらを組むようにして数年過ごしていたら、椅子のクッションがはがれはじめ、左足に変調をきたすようになった。膝が痛いのだ。思い切って、城壁のように取り囲まれた机回りを少し片付け(筆記具、無惨に破れた資料、壊れた本、ひん曲がった本、捜していたカメラなぞ続々発掘)、足を入れるようにした。いやあ、これは楽だわ。「たまら・び」から、いつぶりか「蔵書」についての原稿依頼があり、できれば書斎の撮影をと言われたが、原稿は引き受けたが、撮影は断った。とてもそんな状態ではない。惨状は大平さんが取材してくれた『私の宝物』に掲載。
「ブ」で108円で拾った新潮文庫アンソロジー『日本文学100年の名作』第2巻(1924-33)の巻頭、中勘助『島守』を読む。中勘助はどうしても『銀の匙』のイメージがあり、ピュアな感性の漱石の弟子というイメージがあるが、なかなか複雑な人である。兄嫁に恋し、その兄嫁が死んだ年に57で初めて結婚する。そして、兄はその日、自殺をするのだ。富岡多恵子の評伝にくわしいが、気味の悪いところがある。「島守」は、20代後半に、一人孤独を求めて、野尻湖無人島へ渡り、廃れかけた小屋に住む日々の日記。ソローとはまた違う、へんてこな日記。それでも時々人が訪ねてくる。放哉といい、こうした孤絶な暮らしに、どこか憧れるところがある。気持ちが弱っているためか、夏の暑さのせいか。