CSで録画した市川崑「鍵」を見る。市電の底のシルエットに、スタッフ、出演者の文字が白抜きでかぶさるなど、相変わらず斬新な映像(宮川一夫撮影)。京マチ子、叶順子のありえないヘンテコな眉など、みどころ満載である。骨董鑑定をなりわいとし「先生」と呼ばれる中村鴈治郎は、京都市左京区哲学の道付近の在住。いつも市電で下りる場所が、同じショットで捉えられているが、あれ、天王町だぞと今回気づく。ぼくの母親が長らくこの地に住み、ぼくが京都へ帰るというのは、ここだった。よくよく見覚えのある風景。左へカーブする道と、その向こうに「つる家」が見える。雁治郎は、この脇を東へ、疎水沿いを歩き、自宅へ戻る。すぐ近くに竹林。若王子あたり、という設定だろうか。仲代達矢と叶順子が逢い引きする連れ込み宿に「天六」の文字が見える。こちらはぼくが幼少期に住んだエリア。1959年の公開。雁治郎が骨董の鑑定料として山茶花究から受け取る謝礼が五千円札十枚くらい。五万円。当時、コーヒー六十円、かけそば三十五円。およそ現在の物価が九倍として、四十五万。いい商売だ。出かける京マチ子に雁治郎が「小遣い、やろか」と三千円渡す。二万七千円から三万ぐらいと考えていいだろう。
思い立って、どんどん足が遠のく「ギンレイ」へ。イーサン・ホークが、ジャズのトランぺッターで歌手のチェット・ベイカーに扮した「ブルーに生まれついて」を見る。http://eiga.com/movie/83140/本当はそんなに似てないイーサン・ホークが、甘く透明感のある哀しい無頼チェット・ベイカーの雰囲気をよく出している。マイルス・デイビスは、そっくりさんと言っていいほど似た役者が扮し、おやおやと思う。ただ、実在、およびモデルとしたジャズミュージシャンの映画というと、必ず麻薬におぼれ、つぶれていく様を描くことになり、ほとんどそれが主題となる。本当にそうなんだから仕方がない、と言うかもしれないが、結局それかよという気分になるのも事実。
佐藤正午『書くインタビュー3』小学館文庫を読む。おもしろい。メールのやりとりで、会わずにフリーライター東根ユミが佐藤にインタビューする。最初の担当インタビュアーは、佐藤の逆鱗に触れ、たしか、降りている。佐藤が、とにかく、律儀に、いちいちコトバの端々に絡むのだ。ケンカ売ってる感じが「芸」になっているのだが、インタビュアーはたまらない。東根はよく耐えて、ときに反撃というか、佐藤の腋の下へ手を突っ込みさえしている。どう書いても何かが気に入られないのだし、かといって、デレデレとヨイショして、おもねていてはつまらない。東根ユミ、よくやっている。敢闘賞だ。ぼくなら……自信ありません。