晴天、北風、地震の昨日、午前中に八幡山大宅文庫」へ。もっとあるかと思った記事が、検索すると思ったより少なく、一時間ほどで作業終了。コピーを待って世田谷某所へ向かう。最初は渋谷へ出て田園都市線と思ったが、路線図を見ると、そうか下高井戸から世田谷線で三茶まで行けて、そこから田園都市線に乗り継げるとわかり、それなら世田谷線に久しぶりに乗ろうと、そうする。晴天の空の下、ゴロンゴロンと低速で走る電車に揺られていると、普段遣いしている客には「足」だが、ぼくには遊園地のお猿の電車に乗ってるような遊戯気分である。
三茶に着いて、まだずいぶん次の時間まで間があるので、ひさしぶりついでに、池尻の山陽書店、江口書店まで歩いてみる。けっきょく両店とも休みだったが、姿を拝めただけで満足。頭上を首都高が走る、谷底みたいな玉川通りを歩く道のりの遠さよ。三茶「ブ」で数冊。黒田杏子・文『「おくのほそ道」をゆく』小学館は、写真が植田正治だった。そうか、そうかと買い込む。このあと、水前寺清子邸の恒例「もちつき大会」におよばれし、毎日記者とともに参加。
ぼくはひと足先に水前寺邸を辞し、阿佐ケ谷へ。小学校の同級生Mを含む毎日新聞有志と、井上『さいごの色街 飛田』理津子さん、似顔絵作家の本間康司さんと忘年会。病気の話と、有名人で誰が生きてるか、死んだかなどという不景気な話で盛りあがる。このあとカラオケに流れ、時代に背を向けて昭和歌謡、フォークをみんなで歌っている際中に、揺れた。5階だったので、けっこうな揺れで、しばらく身体が変な感じであった。車中では、小林信彦『森繁さんの長い影』を再読。12月12日生まれの小林信彦は、今年84になるのだな。
お化け煙突の写真がカバーにあしらわれた冨田均『住所と日付のある東京風景』は、何度も任意にページを開いて読み返しているが、そのなかに、「私は自分のライフワークのひとつとして、後世に東京を伝える『東京風景事典』の執筆を考えている」とある。一から書き下ろすのは大変だろうが、これまで書いてこられた東京ものをいったんバラして、分類して、補筆するだけでも立派なものができると思うが、いずれ果たされるだろうか。